あけましておめでとうございます。
前回の記事の最後に、つづきはまた明日、みたいなことを書いてましたが、いつの間にやら2009年。失礼いたしました。
今年はこのブログ、もうちょっと気合いれたいな、なんて思っているんですよ、ホントに・・・。
さて、去年からのつづき。
スズキコージライブペインティングで見かけた、わたしの心を激しく揺さぶる人、それはインチキ手廻しオルガン師、オグラでありました。(※敬称略。※※アクセントの位置、注意。「コブラ」とか「ガメラ」と同じノリでお読みください)
というわけで、オグラのこと。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
あの日、2008年12月9日火曜日、スズキコージが巨大キャンバスに絵を描いている間、そして早々に絵を描くのをやめた後も、オグラはステージの前でインチキ手廻しオルガンを廻しながら歌っていた。
手廻しオルガンてすでに「レトロ」の域だと思うけど、オグラの格好もそれに劣らずレトロで、そしてちょっぴりメルヘンなかわいらしさを湛えていた。オグラの抱える手廻しオルガンが洋服になって生まれ変わったらあんな感じかしら、と思わせる見事なインチキオーラの調和。
オグラが右手でハンドルを廻すと、オルガンの横からるりるりと長いレシートみたいな白い紙がゆっくり出てくる。インチキ手廻しオルガンのほわんとくぐもった音色が、空気を震わせ、あたりに拡散し充満する。ああ、なんだかノスタルジックな音。
この日わたしが聴いたのは前半の名曲カバーだけで、オグラのオリジナルは聴けなかったのだけど、このときの歌がなぜかずっと(今でも)ココロの中で鳴り響いている。
1曲目は「オーシャンゼリゼ」。
有名な曲だからメロディを聴いてすぐ、ああ知ってる、と思ったけど詩に耳を傾けたのは初めてだ。
●率直な感想:軽快で、能天気。
だけど、なぜか嫌いではなくて、家に帰ってからYouTubeで「オーシャンゼリゼ」をまた聴いてしまった。あんまり気に入ったので、図書館でCDも借りてきた。しかし、オグラの歌う「オーシャンゼリゼ」が聴きたい、と思った。
2曲目は「地球を7回半まわれ」。(たぶん)
これは知らない歌だったけど、オグラが高度経済成長期の「みんなのうた」と説明していた。
●率直な感想:元気印の能天気。さすが高度経済成長期。
で、たしか3曲目は「北風小僧の寒太郎」。なつかしい。小学生のとき歌ったなあ。
その次は、ドアーズ(だったかな?)の曲に自作の詩をつけて歌われていました。もう細かいことは忘れちゃったけど、「いいいじゃん、もう飲みいっちゃおうよ~」て感じの歌。なんだこの詩は!? この人好きかも、と思った。
最後は「ソシュウ夜曲」。歌う前に、オグラが「2曲目の歌詞がとても美しい」と言っていたので、一所懸命耳を傾ける。家に帰ったらもういちど歌詞を確認してみようと思い、歌の名前を忘れないように何度も口の中で小さく繰り返す。ソシュウ夜曲、ソシュウ夜曲…ソシュウって何だ? 訴愁? 租愁? 「愁」の字は間違いなかろう、と思って家に帰ってネットで検索したら「蘇州夜曲」だとわかる。作詞、西條八十。へー。
2曲目の詩、たしかにきれいです。おセンチだけども。
「花を浮かべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
今宵うつした 二人の姿
消えて呉れるな いつまでも」
前半の、元気がはちきれそうな歌とは全く趣の異なる、しっとり耽美な少女の世界のような歌。初めて聴いたけど、これもすごく好きになってYouTubeで何度か聴いたあと、図書館で李香蘭のCD借りてくる。でも、なぜか2番の詩がなかった。…。これもやっぱりオグラバージョンで聴きたいな、と思う。
家に帰ってネットサーフィンしてた頃は、オグラの歌が好きというよりは、オグラの歌の選び方がわたしのツボに入ったのかな…とも思ったんだけど、あのドアーズ(?)の曲につけてた詩は忘れがたく(いや、忘れちゃったんだった…でも、まあ、全体的な印象とかがさあ…)、アマゾンで『オグラBOX3枚組』を購入。CD買うなんて何年ぶりだろう。そして家に届いたCDを聴いて、ぐるぐる、めまい。オグラの音楽といっしょにわたしも廻る、廻る、廻るのだ~~~!!!
このCDを聴けば聴くほど、あの2008年12月9日火曜日にオグラがカバーした名曲は、カバーだけどやっぱりオグラで、如何ともしがたいほどにオグラであった…とわたしは確信する。
オグラの歌う世界には「オーシャンゼリゼ」や「地球を7回半まわれ」の能天気さに相通ずるものがあり、根暗でネガティヴなわたしは圧倒されてしまう。そんな楽観的でいいんですかい? とツッコミたくもなるけど、なぜか背を向ける気になれないのは、もう、この歌がぶっとびすぎてるから。こんな風にぶっとばれちゃうと、わたしも愉快になってきちゃう。痛快だ。志村けんのバカ殿コントの中で聞こえてくる笑い声がおかしさを増幅させるのと似ていなくもない。
でも、オグラの歌は、能天気という言葉だけでは括りきれぬ、なげやり、やけくそ、もうどうにでもなっちまえ、みたいな空気を孕んでいて、北風がぴゅーっと吹きぬけたりもする。
『ルンルン サイクリング』でオグラは歌う。
「このまま どっか行っちゃおうかな?」 うんうん、行っちゃおう! そんな気にさせておいて、オグラはこう続ける。
「あっ! しかし チェーンが外れた…」 …マヌケである。一緒になって能天気満開だったわたしは、突然どっか行けなくなり、うなだれる。ぶら~んと虚しくぶら下がるチェーンを見下ろして、世の中の理不尽さと自分の無力さをうっすら感じる。マヌケさの中に真実がある。
哀愁にくるまれ能天気にため息つくこの人は、自嘲気味に「センチメンタルミュージシャン」とか歌ったりもするけど、そうなんだろうか? うーん、多分ね。
『Mr.オルガの嘆き』で、オグラは歌の中の嘆きが「みせかけの嘆きなのか、真実のつぶやきなのか」を見極めようと徹底的に自分と向き合う。自分を見つめる自分と、自分に見つめられる自分。あんまり目を凝らしすぎて、ついには2人に分裂する。Mr.オルガの誕生である。
『Mr.オルガの嘆き』は売れない音楽家、Mr.オルガの嘆きの物語だ。でも曲調は決して暗くない。北風にも負けずに元気よく行進していくイメージだ。「しかしついに彼は嘆き座り込んでしまった」。どうなるんだ、Mr.オルガ!?
そして歌の途中で長いながいモノローグが入る。3人称の語りであったはずのMr.オルガの物語の中に、突如「私」なる人物が現われる。
「私」は言う。「みせかけの模造品ではすぐにバレるし、真実のみの排便には誰も近寄りたくないものだ。『みせかけの真実』のようなものだけが、人のココロを揺するのだ、と私は確信した。」わたしも確信しちゃいました、Mr.オルガ。
わたしは最初、この創作の手の内を曝しているような無防備なモノローグの語り手はオグラだと思っていた。しかし、「私」なる人物は、最期にこう言う。
「最期に私のスペルを覚えて欲しい、『O, R, U, G, A,』/このあと、私は残照の中に、もうひとりの自分を見ることになるのだ…」「私」とはMr.オルガであったか。
物語の中にいたMr.オルガが、突然、語り手となって前面に出てくる。これって、映画を見ていたらスクリーンの中の役者が、ふいに演技をやめてスクリーンから飛び出してきて、芝居論をうつような感じじゃないか? 世界の境界線がなんだかよくわからなくなり、わたしは、ぐるぐる、ああ、めまい。
モノローグが終わると、静寂の中から、また歌がゆっくりと始まる。
お日様は沈みながら 真っ赤に空を染める
彼は見た、圧倒的な光のかさぶたを
眼球を貫通する 圧倒的な美ぼう
その光のかさぶたから 誰かの声がする…
Mr.オルガ 軽薄に嘆くのはやめたまえ
無能な君に出せる光が一色しかないのならば
Mr.オルガ 始めたまえ さあ、つづきを始めたまえ
そこよりも前方へ ホコリ高いその靴で! LaLaLa…
歌のクライマックス、「誰かの声がする…」から「Mr.オルガ」と呼びかけるところ、オグラの歌い方も熱い。「光のかさぶた」から聞こえてくる声なのだ。
そして「光のかさぶた」は、Mr.オルガの嘆きを「軽薄」と断じ、天才音楽家気取りの彼を「無能」と呼び、しかし、それでもMr.オルガを励ます。彼を前に歩ませるために。
Mr.オルガの物語を語り、Mr.オルガとなり、また物語の語り手に戻って、最期は「光のかさぶた」である。忙しい9分19秒だ。(すごい大作!)
前に、この曲の調子は決して暗くない、と書いたけど、そう、だってこれは励ましの歌なのだ。オグラは自分で自分を励ましている。そうでもしなきゃ、やってられないじゃないですか。そして停滞気味のわたしも、この歌を聴いていたらなんだか励まされてしまった。