お茶の間

あぁぁぁ、もったいない。

 13日の金曜日は、早稲田松竹にてビクトル・エリセの映画(2本立て)を観る。

 「一番好きな映画は?」と聞かれると、むかしはそのときの気分で毎回テキトーに違う映画を挙げていたけど、「ミツバチのささやき」を観てからは、これがわたしの一番好きな映画、と迷わず答える今日この頃であります。
 以前、NHKのBS放送でやっていたのをビデオに録画して、何年も観ていなかったのだけど、あるとき知人とお喋りをしていたらこの映画の話になり、家に帰って観たら、あまりの素晴らしさにびっくらこいたのでした。

 今回は「ミツバチのささやき」の10年後に完成した「エル・スール」も同時上映。これも何年も観てみたかった作品なので、見逃すわけにはいかない。寝不足気味ではありましたが、ふらふらと映画館に足を運んだのでした。
 が、映画が始まる前からものすごい睡魔に襲われてしまい、あぁぁぁ、やばい、寝ちゃうかも~と思っていたら、案の定、途中で意識を失ってしまいました。なんてもったいないこと・・・!
 意識を取り戻してからはずっと観つづけていたのですが、いったい、何分くらい眠っていたのか、自分でも全然わかりません。やっぱりDVDを買うしかないかなあ。
 「ミツバチのささやき」と「エル・スール」については、また時間のあるときにゆっくりと感想を書いてみようと思います。

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水の生きもの

職場の方に、小さなちいさな魚と、エビと、貝を頂きました。
といっても、食用ではなく、観賞用です。

ちょっと懐かしい、海苔が入っていたプラスチックの容器に入れられて水の生きものたちはやってきました。

サカナは生まれてから一週間ちょっとで、まだ5ミリ程度の長さです。生まれたときは1ミリほどだったそうな。うひゃー、ちっちゃいね。

エビは透明な身体をしていて、背腸(?)の黒いラインがくっきりとしています。体長2センチほど。貝は何だかよくわからないけどオレンジ色のボディで、ゆったりと海苔の容器の側面を滑ってゆきます。
エビと貝はサカナの糞を食べてくれるのだとか。スバラシイ水の生きものたちの世界! でも、エビと貝の糞は誰も食べません。フン。わたしが掃除するのか。
エビと、貝と、サカナ。3つの違う生き物が、互いに喰いあうわけでもなく、うまいこと共存しているのは、不思議な光景のようですが、それが「自然」なのですね。

サカナは本当にちっちゃくて、上からのぞいていると、黒い点の目だけが水の中でぴゅっ、ぴゅっ、と移動しているみたい。。。

水の生きものたちと一緒に藻ももらったので、ちょっとしたアクアリウムになりそうです。

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台風ホリデー

台風18号は久々の大物だったらしく、一昨日ごろから職場でも話題になっておりました。

今朝は5時過ぎに起きてとりあえず出かける準備はしつつもテレビでニュースを見ていたら、ほとんど出かける気はなくなり・・・で、やっぱり出ました、休校告知。

突然やってきたホリデー。なにをしようって、そりゃあ、明後日の一箱古本市の準備に決まっています。明日は徹夜かな・・・と思っていたので、助かりました。
スリップを作ったり、ダンボールを探したり、銀行に行ったり・・・と、大体の準備はお昼過ぎまでに終わりました。何せ5時起きなので、午前が長いのです。
ほう、と一息ついたところで、雨玉舎さん宅に木版画グッズをとりに行く。ついでに瀕死のイチゴの苗を持っていく。
お茶をごちそうになってから家に帰って、仕事をする。
昨日の遅れを少々取り戻す。

夕飯を食べながらテレビのニュースを見ていたら、あちこちで起きていた台風の被害が映し出されていて、こんなにのんきな一日を過ごしていたことが申し訳ないような気持ちになる。
そういえば、10時過ぎに家を出たら、空は晴れていたけどすごい風が吹いていた。葉っぱやゴミが空を飛び交い、ヤクルトのお姉さんが倒れた自転車の横でぼんやりしていた。公園の桜の木は、ずいぶんと葉っぱが減っていた。風の中で木の枝が揺れている、というよりも、ぶるぶると激しく震えていて、なんか怖かった。空の青さだけが、平和な表情をたたえておりました。

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ブログ、再び。

ども。
みなさま、ご無沙汰してます。

ずいぶん長いことブログを更新していなかったみたいで、なんと8月と9月は記事が1件もないのでした・・・。

さて、この2ヶ月間、何をしていたかというと、ブログを書く暇もないほど仕事が忙しかった・・・というのは、半分ホントで半分ウソです。
仕事を納品した直後は書こうと思えば書けたのですが(今日みたいに)、なんとなくココから離れていたかったのでした。
もう、このままどっかに行ったきり帰ってこないのかなあ、と思っていた時期もあったのですが、不思議なことに、戻ってまいりました。

で、何で戻ってこれたかというと、土曜日の夜、「オグラのヒミツ」にライブ情報が2つもアップされているのを発見して気分が盛り上がり、このウキウキをブログに書いておこうかな、とこの2ヶ月間で初めてココのことを前向きな気持ちで考えるようになり、しかし、それもつかの間、やっぱり何かがまだ足りなくて、結局ウキウキを抱え込んだまま、その夜は眠ってしまったのでしたが、先週の低迷に比べて、今週はわりとよい滑り出しで、なんだかよくわからないうちにサルサ・サークルまで行くことになり、ウキウキとルンルンともやもやの入り混じった気持ちで、オグラのテーマ・ソング「廻せ! 廻せ!」を聴いていたらば、いつしか頭の中で自分バージョンの替え歌が自然発生してきて、おぉぉ、これはわたしのテーマソング!!! ・・・という風にして戻ってきたわけです。

メロスがもうこれ以上は走れない、と倒れてしまったとき、どうやってまた立ち上がったのだったっけ・・・? という疑問がふと頭に浮かんだことが、ずーっと昔にあって、そのとき『走れメロス』を読み直してみたらば、水です! 水の音が聴こえてきたのですよ。それでメロスは立ち上がり、泉で喉を潤し、再び走り出したのでした。(・・・たぶん。最後に読んだのは10年以上前ですが、以来、わたしの中では「走れメロス」は水を飲んで再びがんばる話になっています・・・)

わたしも、水の音が聴こえてきたのでした。

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京都へ行ってきました。

 みなさま、ご無沙汰です。
 夏休みに入ったくせして、ブログの更新が滞っていますが、実は、京都に行っておりました♪ ライブあり、お寺巡りあり、ショッピングあり、の充実した3日5日の旅でした。
 旅の記録は後日また書きます。眠いから、今日はこのへんで。

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尖れ!噴水

 繁忙期が過ぎ去り、ようやく仕事がひと段落つきました。

 昨日は古本市最終日。本の撤収作業を終えたら打ち上げです。
 年齢も職業もさまざまだけど、本が大好き! という一点で結ばれた人たちが十人以上も勢ぞろい。飲んだり、食べたり、ワイワイ、ガヤガヤ、なんてステキな集まりなんだろう。時間はあっという間に過ぎていきました。

 さて、「今さら」感はありますが、書いておきたかった6月下旬の「地味な夜」についてです。というか、このライブを聴いたり見たりしているうちに思い出したある本のことも交えての感想です。

 『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』中島らも著

 このライブに出演されていた3人は、全く共通点のない音楽をやっている人たちらしいのですが、わたしはなんとなく最大公約数的なものがあるように思えてならず、ライブを聴きながら見ながら、頭の中ではこの本のことがぽわーんと浮かび上がってきたのです。

 中島らもの青春時代を綴ったエッセイで、らもさんは作家でもありましたが、ロック・マンとしても活動されていた人です。なので、中高生の頃の思い出話は必然的にバンドの話になります。

 「地味な夜」で二番目に歌ったチクさんがハーモニカホルダーをセットしていたときに、ふとこの本の中のあるエピソードが蘇りました。

 らもさんが「MBSヤングタウン」、略して「ヤンタン」なるものに出場したときのことです。らもさんはバンドを解散した後だったので、一人でオーディションに行ったのでした。で、「フォークギター一本では心もとないので、ギターにピックアップをつけてアンプにつなげるようにし、おまけにハーモニカホルダーでハーモニカを肩口からセットしていた。きょう日なかなか見られない姿ではある。

 この、「きょう日なかなか見られない姿」は、ワタシの脳裏に妙に焼きついていたようで、チクさんを見た瞬間、この言葉とイメージが記憶の底から揺り起こされたのですが、なんと三番目の歌い手、ワタナベマモル氏もハーモニカつき。「きょう日なかなか見られない姿」二連続で、これは最近の音楽事情が変わったのかしらん、とか疑問に思ったので、家に帰ってこのエッセイをひっぱり出してみると、やはり本の刊行は1994年とかなり古いので、時代なんでしょうか。。。

 ちなみに、この「ヤンタン」のオーディションはエレキ部門とフォーク部門にわかれていて、らもさんはエレキ部門に出場したかったのですが、お金がないからフォークギターを買うのが精一杯。「生ギターにピックアップをつけたのも何とか音を大きくしたかったため」なのですが、この当時は使用楽器で音楽をジャンル分けしていたらしく、アンプから音を出す音楽は無条件にエレキ部門にエントリーされてしまったのでした。以下、引用。

 そのときはエレキ部門だけで二十バンドくらいが受けにきていたのだが、思っていたよりもかなり厳しい審査だった。先に出たバンドが次々と落ちていく。どこが悪いのかわからないほどうまいバンドなのにブザーが鳴って落選する。そんなところに一人ぼっちで座っている心細さというのはない。
 結局は僕がその日初めての合格者になったのだが、その時の教訓はいまだに役立っている。「訳のわからんもの」ってけっこう強いんである。

 チクさんとワタナベマモル氏の「訳のわからんもの」度が、2009年現在どの程度かはわからないのですが、ライブ出演者の三分の二を占めているのだから、それなりに普通なのでしょうか・・・。しかし、よく考えたら、そもそもオグラのインチキ手廻しオルガンが一番「訳のわからんもの」であり、ゆえに、わたしのファースト・インプレッションがあんなに強烈だったのも頷けるのでした。

 さて、この日オグラの歌の中で一番印象深かったのは、歌のタイトル忘れましたが、「尖れ、噴水!」であります。
 この人の歌は、のほほんとしたユーモアとメルヘンにくるまれているものもありますが、「2拍子の現実」とか、「進め! バンドミュージック」とか、「蒸発&ランデヴー」みたいな、ちょっとただならぬ気配を感じさせるものもあるのがまたまたツボです。
 「尖れ、噴水!」も同じ匂いがしました。これは一体何だろう、と思っていたのですが、らもさんのエッセイを読み返しているうちに、スカッとわたしの気持ちを代弁してくれるかのような箇所があったので以下に引用です。

 ロックとは、あえて他の言葉に仮託するならば「殺気」のひとこと、それ以外のものではありえなかったのだ。ストーンズ、ドアーズ、ジャックス。好きなバンドはどれも、その成りたちようのどこかに必ず殺意の匂いをただよわせていた。

 そういえば、オグラもドアーズ派みたいですね。 それはさておき、「蒸発&ランデヴー」には、特にただならぬ気配が濃厚に漂っており、わたしはこの歌を聴くたびに心拍数が上がってしまいます。こんな風に感じるのはわたしだけかもしれませんが、この歌の「空空漠漠 一筆匂消 琳琅満目 単純明快・・・」という箇所が、なんだかお経のように聞こえるのです。
 仏教の詳しいことはよくわからないので勝手なイメージだけで書いちゃいますが、お経って、別の言葉で呼び直すならば、「祈りの詩(うた)」みたいなもんだと思うのです。
 そもそも「詩(し)」は「うた」なわけですから、心を研ぎ澄まして唱える祈りのコトバは自然と音楽性を身にまとってしまうはずだし、もっと源泉に遡るなら、そもそも、コトバは「音」でもあるのです。
 んで、この「祈りうた」は日常世界の壁を越えた場所へ向けてうたわれているがゆえに、ちょっとしたオソロシサを帯びてくるのかな、と思ったりします。

 「ルンルンサイクリング」では、「このままどっか行っちゃおうかな?」、と言いつつ、チェーンが外れるというオチがつくけど、「蒸発&ランデヴー」では「このままどっか行っちまおうか?」、と本気でどっかに行ってしまいそうで、日常生活の壁を突き破って進んでいきそうなこの歌がお経のように高まっていくのは、古式ゆかしき日本人としてはなんだかとても自然な流れのように感じるんですよねー。

 といっても、「空空漠漠 一筆匂消 琳琅満目 単純明快・・・」はお経じゃありませんけど、漢字が四文字ずつ並んでいると、字面はちょっと迫力出ますね。意味をたどっていくと、なんかホッとしてしちゃいますが。

 「空空漠漠・・・」の部分を聴いていても一つ思い出してしまうのは、笙野頼子の『金毘羅』。
 もちろんこの歌は『金毘羅』のテーマとは何の関係もないんだけど、金毘羅が誕生する瞬間の描写をなんか思い出してしまうのです。(『金毘羅』はいま手元にないから引用できませんが・・・)
 『金毘羅』という作品全体に関しては、とくに何か言いたいわけではないのですが、金毘羅誕生のシーンにある音楽性はとても興味深いです。こういうときに「音」が前面に出てくるのは、原始的なところに帰り着く感じがしてわたしは好きです。
 「蒸発&ランデヴー」とは逆のベクトルだけど、こういうのは一枚の紙の裏表の関係みたいなもんでもありますし。

 なんだかとても散漫な印象文になりましたが、「地味な夜」はアンコールでオグラと他の2人が一緒に歌ったりする場面もあり、川上未映子のいう一回性って、こういうことかー、とこれまた腑に落ちたのでした。
 ちなみに、オグラはここで “I’m a HIMO-man!”と絶叫しておりましたが、ヒモ男に関しては思うところ多々ありますので、また機会があったら何か書いてみようと思います。
(長々とおつきあいくださった人、どうもありがとう)

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マイケルのこと。

 一昨日、美容室の店員さんとマイケルの話でなんだか盛り上がってしまった。
 彼女はわたしよりも2つ年上。熱狂的なマイケルファンだったらしく、マイケルのポスターが欲しくて毎日ペプシを飲んだらしい。
 わたしはそこまでマイケルファンではなかったけど、小学生のときのマイケル・ブームはわりと覚えている。

 わたしの通っていた小学校の向かいにはアメリカン・スクールがあり、バックパックを背負った子どもたちが向こうにある門の中へ消えていくのを、いつも左目で追っていた。
 わたしは小学生の頃からしょっちゅう遅刻をするぐうたら人間で、わたしの登校時刻には辺りにあまり日本人の小学生の姿はなかった。しかし、アメリカン・スクールに通う生徒はちらほらと歩いていた。
 とりわけ、遅刻確実の時間帯にかならず出くわす背の高い外国人の男の子がいた。わたしは友だちと勝手に彼のことを「マイケル」と名づけた。「マイケル」が歩いていると、あ~、今日も遅刻かー、なんてこれまた勝手に思っていたのであった。時計がわりにされて「マイケル」君もいい迷惑である。

 さて、なぜわたしたちが彼のことを「マイケル」と名づけたかと言えば、理由はとてもシンプルで、外国人の名前でぱっと思いつくのが「マイケル」であったからだ。
 あの当時は、外国人=アメリカ人=「マイケル」なのだった。
 ちなみに、同じ頃ブレイクしていたマドンナの名前は、わたしにとって悩ましいものだった。「マドンナ」というのが固有名詞なのか、それとも「学園のマドンナ」という使われ方をする一般名詞なのかがよくわからなかったからだ・・・。
 それはともかく、当時マイケルの存在はそれほどに偉大だった。(美容室のお姉さんいわく、ファンにとってマイケルは今も「神」らしい)

 わたしはいわゆる洋楽ファンではないのだけど、最近、仕事柄、洋楽を全く知りませんと言っている場合でもないので、とりあえず○○年代ベスト・ヒットシリーズみたいなCDをときどきレンタルしてきたりする。
 それで、ジャクソン・ファイブの存在を知ったのだった。
 CDについている解説を読み、I’LL BE THEREを歌うかわいらしい少年の声はマイケルだと知り、へー、と驚く。そしてさらにジャクソン家にまつわる情報を知ったら、なんだかこの天才少年が憐れに思えてきてしまった。(読んだ内容についてはここでは書かないけど、○○年代ベスト・ヒットシリーズみたいなCDのどれかに書いてあります)

 生前、整形手術を何度もくりかえした彼の体は、死んだ後も検死解剖の人たちによって切り刻まれている。
 騒々しい人生だったなあ、と思う。

 極東から、ご冥福をお祈りいたします。

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初夏の味~自給自足生活への第一歩~

 今年はイチゴとミニトマトの栽培にチャレンジしています。
 イチゴは3月の終わりからときどき白い花が咲いていましたが、まだ時期が早いせいか、なかなか実にならず、もどかしい日々でございました。。。
 最初のイチゴを収穫したのは5月の始め頃だったでしょうか。大きさは親指の頭ほどしかないミニイチゴで、形もニコちゃん大魔王みたいにイビツ・・・味は・・・めちゃめちゃすっぱく・・・と、まるでいいとこのないイチゴでした。。。その後、3~4個収穫しましたが、徐々に味がよくなってきています。やっぱり日照時間とか気温とかが影響するんでしょうかねー。
 しかし、今のところ獲れるのは小粒のものばかりです。ひとつ、形も大きさもとてもしっかりしたイチゴができかけていましたが、そろそろ収穫かな・・・と思ってよくみたら、実の半分が白いうぶ毛におおわれていて・・・カビでございました。
 イチゴ栽培は難儀なこっちゃ。。。

 トマトの方は、イチゴに比べて断然順調でして、花が咲き終わると、風船がふくらむようにぷうぷうと自然にふくらんで実になっていくので嬉しくなります。こちらも4月頃から実がつき始めていましたが、しかし、いっこうに赤らむ気配がなく、一体いつまで待たせる気だい、おまえ? なんて話しかけたくもなるほどで・・・。
 トマトの花は、ひとつの茎から交互に10個ほどまとまってつきます。ミニといえどもトマトですから、一箇所に10個も実がついて膨らみ出すと、けっこうぎゅうぎゅう詰めになってきて、重さもそこそこありますから、みんなで下向きににびよーんと垂れていって、なんだか葡萄のようです。
 ハハの知人情報ですと、トマトは実ができてから赤らむまでにかなり時間がかかるのだとか。そして6月も半ばになり、ようやく最初の青い実が黄色く変わってきたなあ・・・と思ったら、翌日にはもう赤くなっていました。突然の変化にこちらもビックリです。1週間くらいかけてじわじわと赤らむものだとばかり思っていました。
 うぶな生娘とばかり思っていたのに・・・みたいな心境、いや、違うか。
 さて、昨日、最初のミニトマトを収穫しました。
 ヘタがとてもしっかりしていて、さすがは自家栽培の頼もしさ。包丁を入れると、中は思ったよりも色が薄くて、あと1日くらいはおいておけば良かったかなあ・・・という気もしましたが、味は確かにトマト。皮が少々厚めだったかな。
 トマトの苗は全部で3種類植えましたが、そのうち2つが、赤らみ始めた実をつけています。これから夏に向けて、どんどん熟れてゆくのですね♪
 数えたら、全部で100個近いトマトがなっています。小さなものも含めてですが・・・これ、全部収穫できたらすごいなあ。

 来年はもっと野菜を植えて、ますます自給自足を目指すぞ~、と意気込む初夏であります。

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働けど、働けど・・・

 さて、あんなに買う気まんまんだったPCですが、土曜日に届いた住民税の金額を見たら、一瞬にして買う気が失せました。。。というか、パソコンなんて買い替えている場合じゃないことに気づきました。。。あと4年くらいは今のPCにがんばっていただきましょう。

 夏休みはアルパカ牧場に行っちゃおうかしら、なんて思ったりもしましたが、贅沢は敵ッス。

 ふう。
 ・・・じっと手を見る労働者であります。

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ひと晩ぐっすり眠って謎の復活・・・

 ・・・ワタシのことではありません。
 6年前に購入したノートパソコンのことです。

 昨日の夕方頃から、なぜかネットの表示に尋常ならざる時間がかかり、というか、1時間待っても表示されず、パソコンを何度も再起動したり、デスクトップのアイコンを整理したり、あれこれ手を尽くすも改善されず、これはもしや、ウィルスの仕業!? と思い、ウィルスソフトの購入を検討してみたり、しかし、もうこのパソコンも6年前のものだし、いい加減、買い替えどきかも、と思ってデルのサイトをチェックしてみたら、なんとビックリなことに、デルはチャットでパソコンの購入相談サービスをしており、あれこれと質問して、自分の買うべきパソコンの仕様も定まり、しかしネットでパソコンを買うのは勇気がいるので、とりあえず店頭でもう少し下調べをしましょ、と思って、昨夜は、いえ、今朝は眠ったのでした。。。

 さて、朝食をすませ、いざビックカメラへ行きましょう、あ、でも、その前にメールのチェックをしておこうかな、と思ってパソコンを立ち上げ(ネット以外は普通に使える)、どうせダメでしょうけど、とIEを起動させてみたらば、な、ななな、なんと!!! フツーに立ち上がってしまいました。。。。
 あ~、ワタシの昨日を返してください。と、切実に思ったデス。

 何はともあれ、直ったことは、ヨカッタ、ヨカッタ。
 でも、昨日ずーっとパソコンを買うことばかり考えていたら、なんか新しいパソコンが欲しくなってきたゾ。
 というか、そもそも、今年はパソコンを買う予定ではいたのです。冬ぐらいに。
 外に持ち出せるような、小型のノートが欲しいな~と思って(そしたら図書館とかでも仕事できるし)。

 でも、ふと気づけば、今ワタシの使っているパソコンは重たいノートパソコンでして、デスクトップがないのです。
 ノートパソコンは省スペースで良いのですが、ワタシは長時間パソコンを使用するので、手首のあたりがパソコンの熱でヘンな感じになって気持ち悪いのです。デスクトップならこういう不快感もないし、今は液晶ディスプレイだから昔のみたいに場所もそんなにとらないし、とか色々考え出してしまう・・・要するに、新しいパソコンが欲しいのです。

 しかし、新しいものを買うとなると、今のOSはVistaであるから、わたしが現在使用しているXP対応の辞典類がすべて使えなくなるということでして、パソコンを買い替えるのは良いとしても、辞典類すべて買い替えとなったら、こりゃあ大変な出費になるデスよ。
 ところが探せばあるものでして、デルはVistaからXPへのディグレードができるのだとか(ただし有料)。VistaにアップグレードできるDVDも同梱してもらえるそうで、これなら・・・! とわたしのオーラも心なしかキラキラしてきます。

 ってことは、あとは辞典のCD-ROMがあればOKね~、とまだパソコンを買ってもいないのに、CD-ROMはどこだったかしら、と屋根裏をごそごそかき回し、ランダムハウスとCOBUILDのCDは見つけましたが、LONGMANのCDが見つからず、またイライラがつのる・・・。

 買うべきか、買わざるべきか、決着のつかぬまま、今日は昨日の遅れを取り戻すべく、一日ひきこもりの予定であります。
(そんなわけで、「かえるてん」はお預けです・・・)

 考えてみれば、このパソコンも相当酷使しているなあ。わたしが切実に眠りたかったように、パソコンもひと晩くらいは壁のコンセントから抜かれて、静かに眠りたかったのかもしれませぬ。
 ふう。今日はしゃかりきに働くデスよ。

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なんだか気になるドクター○ッパー

 今週初めの天気予報によると明日は雨、ということでした。
 しかし、空の何がどうしたんだか、明日は晴れという予報に変わり、誰にもまして狂喜しております。
 というのも、明日、晴れだと仕事がオフになるのです(農家のようだが、農家にあらず)。

 で、明日はオフ、明日はオフ、オフ、フ、フ、フ、とルミ姉のごとくいかがわしい笑みを浮かべながら、帰りがけ、図書館に依頼していた本を取りに行ったり、ロフトでお買い物したり、あれやこれやの寄り道を楽しんだのでした。
 思いがけず買い物がかさみ、いつの間にか空は青く、ああ、なんだか喉が渇いたなあ、お茶を飲みたいよお、と思いつつもお茶代惜しんで電車に乗り、座席を確保して、ふう、とひと息つく。すると、隣でプシュッと缶を開ける音がした。この爽快な音。空中にシュワッとはじける炭酸の微かな泡が目に浮かぶ。ああ、あなたは何を飲んでいるの? キリンレモン? 三ツ矢サイダー? 思わず隣を見ると、女子高生がドクター○ッパーをごく、ごく、と流し込んでいる。
 ・・・げ~、ド、ドクターペッ○ーか・・・と思ったのでした、失礼ナガラ。
 あの、まず○と評判のドクター○ッパー。
 しかし、女子高生はそれをおいしそうに飲み、わたしはあまりにも喉がからからで、だからなのか、何なのか、生まれて初めてドクター○ッパーがおいしそうに見えて、飲んでみたい~と心底思ったのでありました。

 初めてドクター○ッパーなる飲み物を知ったのは、小学生の頃だったか、中学生の頃だったか。コカ・コーラとも違うし、スプライトとも違うし、なんだかよくわからん飲み物、そしてクスリのような味がする、というのがもっぱらの評判でした。
 こんな飲み物はすぐに市場から消えるだろうと思っていたのに、意外にも生き残っているのですよね。。。(失礼ナガラ)
 しかし、周りを見渡してもコレを愛飲している人はおらず、では北米ではどのように受けとめられているのかというと、やはりコーラほどの人気はないようで、○○イよ・・・という人もいるほどでして。(重ネテ失礼)
 しかしながら決して消え去らない謎のロングセラー商品。うーん、なんだか今、無性に飲みたくなっています。

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ブックダイバーにてテレビ出演

だはは、自分で書いてて笑ってしまう。
でも、ウソじゃありません!
ホントにテレビに映ったのでした。(一瞬)。

急な話だったのですが、昨晩、ダイバーさんから電話をいただき、村上春樹の新刊が今日で百万部突破するとのことで、『1Q84』の読書会を企画していたダイバーさんに取材班の白羽の矢が当たったのだとか。
村上春樹は、確かに一時期大ファンだったのですが(中学生の頃)、実は今はそれほど好きでもなく、そんなテンションの低いわたしが参加させていただくのも何だったのですが、まあ、まあ、まあ・・・というわけでして。

まあ、テレビの取材といっても、どうせ大して映らないっしょ、と気楽に考えながらも、ついつい巻き髪なぞにしてみたりして。しかし、あまり気づいてもらえず。うーん、もっとぐるんぐるんにしないとダメなのね。

夜。
おばあさんに電話をかけ、ビデオもセットし、準備万端で迎えた放映ですが、予想通り大して映っておらず、しかし、あれなら「ワタシ」と同定できまいと、ちょっとほっとしたりして。

撮影時間はトータルで1時間程度だったかと思いますが、放映時間は恐らく1分ほど。
座談会形式で、わいわいと喋っているところを撮られたり、インタビューっぽいところもあったりで、一体どのように編集されるんだろう、と興味津々でしたが、なるほどなー、という仕上がりでした。ちなみに、わたしが喋った部分はすべてカット。それもやっぱり、なるほどなー、と納得ではありました。

しかし、映ったのは一瞬でしたが、それは小顔ローラーの購入を決意させるには十分すぎる時間なのでした。。。ガビーン。

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ほぅ。

やれ、仕事がひと段落しました。
最近、ずっとこんなサイクルで生きているなあ。

時間に追われ、仕事に追われ、ぴぃぴぃと啼く。
読む予定の本は堆く積みあげられていき、地震がくる前からぐらん、ぐらんと揺れている。
わたしの心も揺れている。
この揺れは、はて、何でしょか。

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彼岸より帰還。

ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~・・・・・・!

仕事がひと段落した喜びの雄叫びです。
(あんまし嬉しそうじゃないか・・・)

この1ヶ月ちょっと、猛烈に働いておりました。チオビタの瓶があちこちに散乱しました。来週の月曜日まではまだ仕事が残っていますが、その後は・・・・・・。でも、正直、息抜きしたくなってきているので、まあ、○○でもしょうがないか、みたいな~。
今月の合言葉(?)は、○○でもしょうがないか~、です。

しかし、こんなにがんばったのは、人生で初めてかもしれない。
思えば、手抜きな人生でありました。(どんな人生だ!)
数年前、知人に「餓死か過労死かしかねェんだヨ、」と言われたとき、あっさりと餓死を選んだワタクシでありました。
真夏、トコロテンをすすりながら、畳の上に転がっている自分をリアルに想像いたしました。

そんなワタクシがチオビタ片手に連日、徹夜仕事をするなんて・・・!

無理をして体を壊しちゃ、本(もと)も子もないけど、でも、ギリギリの限界まで自分を追い込んでみて初めて行ける境地って確かにあるのだね、と朦朧とした意識の中で思ったのでした。

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殺陣は美し。

 仕事がひと段落して、ちょっと気分がゆるんでる今日は、『陽○の○3』の放映日でもありました。
 『陽○の○』もこれで3作目。しかも、これがシリーズ最終作になるらしいです。寂しい・・・。そんなことを知ってしまうと、終わらぬうちから寂しくなります・・・。
 というわけで、毎週、毎週、大切に見ている『陽○の○3』ですが、なんか、3作目になってから、敵役の動きが忍者っぽくなってきたというか、『スケバン刑事』の悪役っぽくなってきたというかで・・・えぇぇぇぇ、という部分もありますが(前回なんて、ラーメンマンみたいな中国の武術家が登場しちゃうし・・・)、ま、前作と同じレベルではイカン! という制作側の熱意と思うことにしております。そして、このバカバカしさのおかげでわたしの寂しさも紛れるし。。。
 さて、今日から磐○さまが若様の用心棒になりました。衣装も変わりました。着物の赤い裏地が好きなわたしとしては、袴スタイルはちょっと残念です。でも、大役をおおせつかって、殺陣のシーンが長くなったようで嬉しい♪ 前回、ラーメンマンの洗礼を受けたわたしは、もう、磐○が手裏剣を刀ではじき返しても笑いません。
 奈緒も江戸に戻ってきちゃうし、来週はますます見逃せませんなあ。

 『陽○の○』シリーズは磐○の衣装のせいか、殺陣のシーンがけっこう好きなのですが、たぶん、衣装のせいばかりではないのでしょう、と最近思うようになりました。
 というのは、春休みにハマって一気に見ていた『ロード・オブ・ザ・リング』三部作ですが、あんなにステキなヴィゴ・モーテンセンでも、剣を振り回して戦っているシーンを見ると、ああ、無様・・・と思ってしまうからです。
 日本の時代劇を見慣れている者にとっては、あの動きはちょっと、無駄が多すぎるというか、力まかせというか、うーん、美しいとは思えないですねぇ。ヴィゴは確かにカッコイイのだが。
 子どもの頃は、時代劇の殺陣のシーンを見ると、「ひとりずつ順番に切りかかっていくなんて、ヘンじゃーん」とか思ってたけど、あれって、ハリウッド映画でいう「アクションシーン」とはあきらかに別次元のものなんでしょうねー。
 何が違うのか。
 殺陣のシーンには「美」があるのです。単に、悪者をやっつける、というだけではなく、というか、やっつけることは二の次、と言ってもいいほどに。やっつけ方こそが目的、みたいな。
 殺陣は、一種の「舞」じゃないかと思います。

 わたしは高校時代、剣道をやっていましたが、やはり上手な人は姿勢が美しく、構えもきれいで、つい見とれてしまいました。間の取り方もいいのです。
 お笑いも「間」が重要ですが、武道においてもそうでしょう。
 人と人とが対峙して、間には張りつめた空気が漂っている。ただ見合っているだけのようでも、そこには「気」の交流みたいなものがあって、刀を交えずとも、火花を散らせて戦っているのです。
 そういう、精神レベルでの戦いみたいなものに反応したくなるのは、日本人特有の感情なんでしょうかね~。
 わたしのDNAには、剣術に感応する何かが含まれているように思えてならないのでした・・・。

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ワレはロボット!?

 さっき、グーグル・アカウントなるものを作ったのですが、メアドとかパスワードとかを入力して、最後に人間かどうかを確認するための(?)、最近よくある、あのぐんにゃりとねじ曲がった文字を読みとって入力させるやつ、あれをやったのですが、なんだかものすごく難しくて手こずってしまいました。。。
 最初に入力したやつは、やはり間違っていたらしく、モウ一度入力シテミロ、と要求され、2度目のお題(?)も、すごい難問・・・。こんな文字、読めるわけないじゃんっ、と思いつつ、なんとか解読して文字を入力。・・・またもや間違い。ガビーン。
 だんだん、自分が人間ではないような気がしてきて、妙に後ろめたくなってくる。ワ、ワタシはやはり宇宙人!? いやいや、これは機械と人間を識別するための質問なのだから、じゃあ、ワ、ワレはロボット?
 最終的にはアカウントを作ることができたのですが、なんか、こんなに敷居の高い作業だとは思いませんでした。。。切なーい。

 さて、「われはロボット」といえば、かの有名なアイザック・アシモフのSF短編集のタイトルであります。このなかの「ロビイ」という短篇が、何かのアンソロジーに入っていたよなあ、と頭の中をぐるぐると探ってみるけど、思い出せない。最近目にしたアンソロジーは、川上弘美さんの編んだもの。でも、あれは日本文学だったしなあ・・・・・・と思っていた頃、ようやく思い出しました。これです。

 『川原泉の本棚』-おすすめ本アンソロジー&ブックガイド-

 この間、みちくさ市で買った本です。
 川原泉の少女漫画(特に初期のもの)をわたしは偏愛しており、一時期、毎日まいにち、セリフを覚えるほどに読み耽っておりました。
 そんな川原先生が書かれたブックガイドですから、ずっと気になっていたのです。で、この本で一番最初に扱われていたのが上記の「ロビイ」だったんですねー。
 ああ、なんかスッキリしました。
 ちなみに、川原先生は子どもの頃から「サバイバル系」と「食べ物」が出てくる話をお好みだったとか。「サバイバル系」はよくわかりませんが、「食べ物」が出てくる話が好きなのはわたしも同じ。さすが、「空の食欲魔人」の作者です。

 子どものころのお気に入りの絵本に『おおきなきがほしい』というのがありました。主人公が大きな木の上に小屋みたいなのをつくって、そこでホットケーキか何かをつくる話。だった気がする。。。うーん、あやふやな記憶ですが、小屋で鳥とかリスとかに囲まれてホットケーキを焼いていた気がします・・・。
 ちなみに、わたしはこの本からインスピレーションを受け、大きな木の上でたこ焼きを焼く自分を妄想していました・・・。

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鼻声について

 風邪をひくのは嫌だけど、ひとつだけ面白いのは自分の声がふだんとは違って聞こえることだ。
 たとえば電話で友だちと喋っていると、鼻にかかった感じの自分の声にひとり酔いしれてしまう。
 鼻声が、好きなのです。

 風邪をひいているわけではないのに、地声が鼻声な人もいる。とても羨ましい。
 女優さんは容姿が大切かもしれないが、わたしは声も重要であると思う。とくに、鼻声女優は、いい。
 「鼻声女優」って何なんだよ!? とお思いの方もあるかもしれませんので、具体例を挙げますと、宮本信子、鶴田真由、菅野美穂などの名前がパッと浮かびます。ほら、ステキな鼻声でしょ。

 英語話者は、鼻声系が多い気がします。特に、北米。
 ゆえに、英語の発音をそれっぽくしたいならば、鼻声になることが肝要ではないかと思うのです。わたしの統計によりますと、英語の発音がうまい日本人は、たいてい地声が鼻声系です。
 中学生のときに聞いたNHKラジオ講座「英会話」を担当されていた大杉先生はステキな鼻声の持ち主でした。
 風邪をひいて鼻づまりのときは、嬉々として英文を音読してみたりします。いつもより、なんだか上手に聞こえる♪
 しかし、風邪の症状に喉の痛みが加わりますと、のんきに音読練習なぞしていられないので困りものです。

 職業柄、声を酷使しがちですが、わたしの声はあまり通りがよくありません。どうにかならんかしら、ということで出会ったのがこの本です。
『発声と身体のレッスン』鴻上尚史著(白水社)
 本の帯には「声に出して読みたい日本語」の著者齋藤孝さん大絶賛! とあります。まあ、どうでもいいんですけど。
 著者の鴻上氏は演出家ですが、この本は俳優だけでなく、声を使うすべての職業の人に向けて書かれています。
 腹式呼吸のトレーニングから入り、声帯に負担のかからないS音トレーニング(つまり、無声音の発声トレーニング)など、かなり丁寧に、そして本格的なトレーニングがステップ・バイ・ステップ式に紹介されています。
 はっきり言って、これをひとりで全部こなすのは大変で、わたしは途中で挫折してしまったのですが、ハミングレッスンで鼻を響かせてみよう、というのがあって、そこは妙に熱心にやってしまいました。機会があればまたやりたいと思っています。

 ちなみに、腹式呼吸というのも、なんだか楽しいものです。
 満員電車の中でぎゅうぎゅうと押しつぶされそうなときでも、「それっ、腹式呼吸」とひとり実践してみたりします。

 鼻声と腹式呼吸に対する憧れが、なぜか人一倍大きいようです。あ、鼻呼吸もね。

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ああ、ワタシの国民健康保険。

4月も今日でおしまいです。
おしまいですが・・・風邪をひきました。喉がヒリヒリ、鼻水ズビー、なのです。
熱がないので豚インフルではなさそうですが、一昨日ごろ、アメリカから荷物が届いたので、時期的にちょっと、なんだか、なのでした。。。

このゴールデンウィークは仕事が山のようにあるので、寝込んでいる場合ではない! ということで病院へ行くことにしたけれど、ほ、ほ、ほ、保険証がないのでした。
職場の保険には5月から加入のため、今月はまるまる1ヶ月、無保険状態でして・・・。
明日は平日だから病院はやっているはずなのに、別の仕事が休みの予定だったから勘違いして、「今日を逃したらもう病院へは行けなーい!」と、市役所へ保険証を作りに駆けんだのでした。。。

本日の病院の診察受付時間は16時まで。
市役所へ行ったのが15時45分頃。
窓口で、「これから病院行きたいんですけど、今すぐ(保険証)発行してもらえますか?」とたずねると、身分証明書があればデキマス、とのこと。
書類をあれこれと書き、間違いもあれこれ。「あ、間違えました」ガッ、ガッ(二重線を引く音)「あ、これは書かなくていいんですか?」ガッ、ガッ。(このボールペン、インクの出が悪いなあ)ガーッ、ガーッ、ガッ、ガッ。
・・・どんな書類が出来あがったかはご想像にお任せします。

時計を見ると、15時57分。や、やばい! 窓口の人に、「病院の受付が16時までなんで、先に受付だけしてきてもいいですか?」ときくと、いいですよ、と言われたので、自転車に乗って同じ通りにある診療所に向かう。

診療所の窓口で診察券だけ出して、「ほ、保険証を忘れたので取りに帰ってもいいですか?」とウソをつく。いいですよ、と言われたので、自転車に乗って同じ通りにある市役所へ戻る。

市役所では、まだ保険証発行の手続きをしている最中でした。
できたてほやほやの保険証を持って診療所を再び訪れ、風邪薬その他の処方箋を出してもらって薬局へ行く。
薬をもらうとき、薬剤師さんに「明日も、明後日も、診療所は開いてますから、何かあればゴールデンウィークの前に行ってみてくださいね」と言われ、世間は明日も平日であることにようやく気づく。
そして明日からは職場の健康保険に切り替わるのです。。。
・・・もの悲しい4月の末日なのでした。

* * *
わたしのポンド予想は外れておりました・・・。
まだ150円台まではいかないのですね。
懲りずに来月末のポンドの価格を予言。~~~~~147円ナリ。
乞うご期待。

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4月になってました。。。

この春は、仕事もなくて、お金もなくて、時間だけはたくさんたくさんあったものですから、毎日のらくらと生きておりましたが、気がつけば4月。ブログに書きたいことはたくさんあったくせして、なあんにも書いちゃいなかったのでした。。。
さて、そんなひまひま星人にもようやく仕事が舞い戻ってきたのですが、そうなると今度はこんなブログ書いちゃったりして、一体なんなんでしょうかね、こういうの。
うーん、アマノジャク? 時間の使い方が下手なだけ?

*    *    *    *

最近、イギリスポンドがどんどこ上がっています。
3月初旬、お隣さんに「絶対上がり続けるよ」と断言したワタシ。
当たってるじゃん。
調子に乗ってポンド予想を書いておきましょう。
今月末には150円代までいってしまうぞ。エーン。

*    *    *    *

オグラのヒミツで、オグラライブ情報が更新されてました。
といっても岡山在住の友人からすでに聞いて知っていたのですが・・・。
蟲文庫さんで単独ライブをやるそうです。
近隣にお住まいの方、ぜひ、行ってらっしゃい、見てらっしゃい。

蟲文庫さんは1年ほど前に行ったことがあるのですが、あのお店のどこでライブをやるのか、ちょっと、とっても、謎であります・・・。でも、お茶とお菓子付きのライブなんて、いいな、いいな~。

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月の光(トウキョウソナタ)

ちょっと前にニューヨークタイムズの映画レビューで「トウキョウソナタ」が取り上げられていた。どこかでやっていないかなあ、と思って調べたら池袋の新文芸座で今日から3日間、「Tokyo!」と「トウキョウソナタ」の2本立てで上映されるとな。
そんなわけで行ってきました、新文芸座へ。

「Tokyo!」は、実は観るつもりではなかったのですが、上映時間を勘違いしていたので見ることになりました。寝ちゃったらどうしよう・・・とちょっと心配でしたが、まったく眠くない映画でした。むしろ、映画の背景までじっと凝視したくなるような作品で面白かったです。3篇の短編映画からなるオムニバスで、海外の監督たちがそれぞれの視点で東京を舞台にした作品をつくったらしい。でも、出演俳優は日本人がほとんどです。

「トウキョウソナタ」はキョンキョンがいい味だしてました。崩壊しかかっている家族の物語ですが、ユーモアも交えて描かれているのでそんなに悲惨じゃありません。ラストシーンンで次男がピアノを弾くシーンが、すごく印象的です。(手と演奏が合ってないんじゃないの~とか意地悪なことを考えちゃって頭のどこかは冷静なはずなのに、不思議と心が浄化されるのを感じるのです。。。)
あらすじは、リストラされた父親と、専業主婦のお母さん、息子二人の日常を描いたもの。大学生の長男はアメリカの軍隊に志願して家を出て行き、次男はピアノを習いたいのに父親に猛反対されたため、給食費をちょろまかしてこっそりピアノのレッスンを受けている。父親はリストラされたことを家族に打ち明けられず、スーツを着て会社に行くふりをして公園で昼食の配給の列に並んだりする。んで、話はどんどん悲惨になっていき、父親のリストラ仲間は妻を道連れに無理心中するし、次男はピアノのことで父親と喧嘩になって階段から転げ落ち、怪我は大したことはなかったものの家出して警察に捕まり拘置所へ入れられ、父親は車にはねられ、家には強盗が押し入りキョンキョンは連れ去られ、ついに家の中は空っぽになる。こんな風に書くと本当に暗~いだけの話みたいだけど、けっこう笑いもあって、実際、映画館の中で斜め後ろにいたおばあさんは声をたてて笑っていた。
さて、空っぽになった家に、次男が戻り、次にキョンキョンが戻り、そして父親も戻ってきて、3人で、何事もなかったかのようにご飯を食べる。それぞれが経験してきたことは重苦しいのに、それでもああやって一緒にご飯を食べているところが家族の絆、というよりも、逃れることのできない日常の恐ろしさのようにも見えました。
ラストシーンでは次男が音大の附属中学の入学審査でドビュッシーの「月の光」を弾きます。このピアノがとても素晴らしくて、聴いていたらなんだかじわぁっと涙がこみ上げてきました。今までの悲惨さがここですべて浄化されていくような、魔法みたいに美しい音色です。この曲、前から知ってるけど、こんなにきれいな曲だったっけ? とビックリするほどに。「月の光」が、「月の光」を越えてしまったような感じ。この映画の中でずっと積み重ねられてきた時間が、「月の光」の色合いを変化させたのかなあ・・・。不思議な体験でした。
映画の中で父親役の香川照之の目にもじわっと涙がこみあげるのですが、とてもわかる、あの気持ち。このラストシーン、あまりにも荘厳です。

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いちご日記

ストロベリーを植えました♪

ガーデニング業界ではよく知られているらしいのですが、ストロベリー専用の鉢というものがあるらしく、ガーデニング中毒のハハがわざわざ買ってきたのでした。
これがなかなかどうして、キュート!
大きな素焼きの甕の側面に、ところどころ小さなバルコニーのようにくりぬかれている小窓があるのです。このバルコニーに苗を植えます。
4つの苗のうち、1つはすでに白い花が咲いています。おしべの花粉を筆か綿棒でめしべにつけましょう、と書いてあったので、さっそく受粉させてみる。なんかエロティックね。

収穫が楽しみです。ルン♪

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確定申告の書類を書く。

 確定申告の締め切りは明後日まで、といわれてさっき慌てて書類を作成しました。
 もう、何なんでしょうね~、ああいう書類に特有の面倒臭さ、煩わしさ、わかりにくさ、というのは。
 事業所得とか、報酬とか、一時金とか、もう、チンプンカンプンなので、間違える、間違える。訂正印だらけの書類がようやくできあがりました。ふぅ。
 世の中はややこしいワネー。

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わお!

 昨日、大丸やきとお茶をおいしく頂いた後、古本屋さんを何軒かまわり、最後はブック・ダイバーへ漂着。
 給料日前でお財布も薄っぺらくなっているので、見るだけヨ、見るだけ、と思いつつ、欲しい本を発見。でも、ダメよ、ダメなのよ。ヨダレをふきふき、店を出る。あ、でも、店の外にも本がある。あ~、ダメ、ダメ、ダメ~。

 ・・・買ってしまった。

 家に帰って、本と一緒に紙袋の中に入っていたお店のチラシに掲載されている「お客様の声」を何気なく眺めていたら・・・ら、ららら、ん!? これは、わたしがこの間ブログに書いた文章デハナイノ?!☆♪
 こんなマイナーブログがまさか当の店主の目に触れるとは思っていなかったので、ビックリ、ドッキリ、お恥ずかしい。でもわたしのか細い「声」が届いていたことに不思議な感動を覚えました。ネットの世界ってすごいなあ。
 完全に他人が書いた文だと思っているものが、実は自分の書いたものであった、という、突然世界がぐにゃんとねじれて戻ってきたような感触。鏡に映ったわたしを見ている鏡に映ったわたしを見ている鏡に映ったわたしを見ている鏡に映ったわたし・・・(以下略)みたいな眩暈。
 言葉って不思議な生き物ネ。

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ラララライブ

 ライブなるものへ初めて行きました。
 いや、行ったことはあると言えばあるのです。んでもそれは、友だちが、ねえ、一人じゃ行けないから一緒に来て、とか、知り合いが、ライブやるから今度よかったら来て、とかいうわけでして、自分で決めて自分で行くのは生まれて初めてということ。
 ライブ・ビギナーとしては、すべてがドキドキ、チケットの予約からしてビクビク。お店のホームページを確認したらチケットは前日までメール予約できるとのこと。予約のメールを送ったのが前日の午後だったので、チケットもうありません、と言われるかしら、とくよくよしたり、返信メールがなかなか来ないもんだから、もしかしたら、メールでチケット予約できるなんてホントは嘘!? とこの世界のシステムを疑ってみたり、一人で「やっきり」するのでした。
 さて、メールの返信は前日の夜に届き、おぉぉぉぉ、とひとしきり感動。ラ、ラララ、ライブへゆけるのね。

 あ、ちなみに行ったのは、オグラのライブです。(敬称略)
 CDで聞いていた唄も何曲か聴けたし、先週の金曜日につくったという新曲もあり、知らない唄もあり、あ~、ラララ、ライブはお得だね。できたてほやほやの新曲を聴くのは、焼きたてのパンをいただくような気分です。
 よく、絵は実物を見なくちゃ、と言いますが、唄も生で聴くほうが色々と感じるところがあるみたいです。唄うオグラを見ていて思ったのは、この人は自分の声をときどき楽器みたいに使うのだな、ということ。そうか、人間の声って一番原始的な楽器なのかもしれない、という発見に「原始」好きなわたしは嬉しくなる。CDを聴いていても、何となく感じていたことではあるけど、実際に唄っているところを見ると、自分の感じていたことがも少し明確な気づきになる。
 オグラの新曲はなかなかいいとこ突いていて、キミ以外、世界がぜんぶ透明になっちゃえば、みたいな面白い唄でした。

 小説とか、詩とか、唄もそうなのでしょうが、作り手には作り手なりの想いがあるわけだけど、受け手には受け手なりの想いもあるわけで、両者がガッチリ噛み合うこともあるかもしれないし、そうでない場合もあり、だけども受け手は受け手で自分の想像力を加味してある作品を自分の中で完成させていくものでもあるからして、以前もちらと書きましたが、1つの作品であっても、100の作品にも、1000の作品にも、10000の作品にもなり得るわけです。これを作り手はどう思うかは知らんけど、受け手は自分なりの解釈することを楽しんでもいるので、まあ勘弁してください、と一人途方に暮れてつぶやくのでした。

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薔薇と孤独とビッグ・バン!

 気が向いたときに読むブログがいくつかある。頻度はともかくとして、定期的にチェックするものは「お気に入り」に入っている。整理整頓が嫌いだから、「お気に入り」の中はぐちゃぐちゃのカオスちゃんだった。
 しかし、この混沌とした「お気に入り」の中のいくつかが「オグラのヒミツ」を読んでいたら、一本の線になった。!。
 そして世界はじわじわと拡張している。

 ちなみに「薔薇と孤独とビッグ・バン!」はYouTubeで視聴できます♪

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わ、め、ぞ!

 風の冷たい一日でした。
 しかし寒風にも負けず、行ってきました、「わめぞ外市」。

 まずは古書往来座の近くのカレー屋さんで腹ごしらえ。メニューが多すぎて目移りしてしまうけど、とりあえず「大人気メニュー」のベーコンエッグカレーなるものを注文する。
 「お待たせしました」と、目の前に置かれたカレーは今までに見たことのない盛り付け方。ご飯が白いお皿の縁まで平に敷きつめられ、ど真ん中にベーコンエッグカレーがちんまりとのっている。そしてそのお皿とは別に、ベーコンエッグカレーのルーが出てくる。
 「カレー」、と聞いて思い浮かべる定番の野菜がほとんど入っておらず、しかし、キャベツもベーコンもタマゴもカレーによく合うのでした。具をとびっきりアレンジした家庭のカレーみたいでグ~♪
 店を出るときに、レジでピカピカ光る赤い包み紙のキャンディをもらう。口に入れたらコーヒー味。食後のコーヒー飲んでるみたい。

 さて、わめぞ外市である。寒風が吹くなか、店の外を取り囲む古書や雑貨の棚を熱心にのぞきこむ人がけっこういるではないの。とりあえず端から順番に見ることにしたが、あまりにも寒くて最初のうちは、あ~、あ~、と適当に流していた。しかし、う、別役実の「寂しいおさかな」発見、すかさずゲット。あ、「短歌の友人」。しかも美本、誰にも渡さないぜ! …ってな具合に、いつしか他のお客さんに混じってギラギラと隅から隅まで物色していた。寒さも忘れるほどの品揃え。期待以上です。濃い~時間を過ごせました。
 気になる高円寺の雑貨屋「ハチマクラ」のブースでは、ドイツ製の万年筆を発見。緑のボディが美しい。形もゴツすぎず良い感じだ。しかも945円! 某ブランドの安物万年筆よりもさらにお安く、デザインもこっちの方がいい。試し書きができなかったけど、945円ならまあ、いいか、と購入。家に帰ってインクを挿してみたら、書き味もまずまず。良い買い物でした。

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インチキ手廻しオルガン師。

あけましておめでとうございます。
前回の記事の最後に、つづきはまた明日、みたいなことを書いてましたが、いつの間にやら2009年。失礼いたしました。
今年はこのブログ、もうちょっと気合いれたいな、なんて思っているんですよ、ホントに・・・。

さて、去年からのつづき。

スズキコージライブペインティングで見かけた、わたしの心を激しく揺さぶる人、それはインチキ手廻しオルガン師、オグラでありました。(※敬称略。※※アクセントの位置、注意。「コブラ」とか「ガメラ」と同じノリでお読みください)
というわけで、オグラのこと。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

あの日、2008年12月9日火曜日、スズキコージが巨大キャンバスに絵を描いている間、そして早々に絵を描くのをやめた後も、オグラはステージの前でインチキ手廻しオルガンを廻しながら歌っていた。

 手廻しオルガンてすでに「レトロ」の域だと思うけど、オグラの格好もそれに劣らずレトロで、そしてちょっぴりメルヘンなかわいらしさを湛えていた。オグラの抱える手廻しオルガンが洋服になって生まれ変わったらあんな感じかしら、と思わせる見事なインチキオーラの調和。

 オグラが右手でハンドルを廻すと、オルガンの横からるりるりと長いレシートみたいな白い紙がゆっくり出てくる。インチキ手廻しオルガンのほわんとくぐもった音色が、空気を震わせ、あたりに拡散し充満する。ああ、なんだかノスタルジックな音。

 この日わたしが聴いたのは前半の名曲カバーだけで、オグラのオリジナルは聴けなかったのだけど、このときの歌がなぜかずっと(今でも)ココロの中で鳴り響いている。
 1曲目は「オーシャンゼリゼ」。
 有名な曲だからメロディを聴いてすぐ、ああ知ってる、と思ったけど詩に耳を傾けたのは初めてだ。
 ●率直な感想:軽快で、能天気。
だけど、なぜか嫌いではなくて、家に帰ってからYouTubeで「オーシャンゼリゼ」をまた聴いてしまった。あんまり気に入ったので、図書館でCDも借りてきた。しかし、オグラの歌う「オーシャンゼリゼ」が聴きたい、と思った。
 2曲目は「地球を7回半まわれ」。(たぶん)
 これは知らない歌だったけど、オグラが高度経済成長期の「みんなのうた」と説明していた。
●率直な感想:元気印の能天気。さすが高度経済成長期。
 で、たしか3曲目は「北風小僧の寒太郎」。なつかしい。小学生のとき歌ったなあ。
 その次は、ドアーズ(だったかな?)の曲に自作の詩をつけて歌われていました。もう細かいことは忘れちゃったけど、「いいいじゃん、もう飲みいっちゃおうよ~」て感じの歌。なんだこの詩は!? この人好きかも、と思った。
 最後は「ソシュウ夜曲」。歌う前に、オグラが「2曲目の歌詞がとても美しい」と言っていたので、一所懸命耳を傾ける。家に帰ったらもういちど歌詞を確認してみようと思い、歌の名前を忘れないように何度も口の中で小さく繰り返す。ソシュウ夜曲、ソシュウ夜曲…ソシュウって何だ? 訴愁? 租愁? 「愁」の字は間違いなかろう、と思って家に帰ってネットで検索したら「蘇州夜曲」だとわかる。作詞、西條八十。へー。
 2曲目の詩、たしかにきれいです。おセンチだけども。
  「花を浮かべて 流れる水の
  明日のゆくえは 知らねども
  今宵うつした 二人の姿
  消えて呉れるな いつまでも

 前半の、元気がはちきれそうな歌とは全く趣の異なる、しっとり耽美な少女の世界のような歌。初めて聴いたけど、これもすごく好きになってYouTubeで何度か聴いたあと、図書館で李香蘭のCD借りてくる。でも、なぜか2番の詩がなかった。…。これもやっぱりオグラバージョンで聴きたいな、と思う。

 家に帰ってネットサーフィンしてた頃は、オグラの歌が好きというよりは、オグラの歌の選び方がわたしのツボに入ったのかな…とも思ったんだけど、あのドアーズ(?)の曲につけてた詩は忘れがたく(いや、忘れちゃったんだった…でも、まあ、全体的な印象とかがさあ…)、アマゾンで『オグラBOX3枚組』を購入。CD買うなんて何年ぶりだろう。そして家に届いたCDを聴いて、ぐるぐる、めまい。オグラの音楽といっしょにわたしも廻る、廻る、廻るのだ~~~!!!

 このCDを聴けば聴くほど、あの2008年12月9日火曜日にオグラがカバーした名曲は、カバーだけどやっぱりオグラで、如何ともしがたいほどにオグラであった…とわたしは確信する。

 オグラの歌う世界には「オーシャンゼリゼ」や「地球を7回半まわれ」の能天気さに相通ずるものがあり、根暗でネガティヴなわたしは圧倒されてしまう。そんな楽観的でいいんですかい? とツッコミたくもなるけど、なぜか背を向ける気になれないのは、もう、この歌がぶっとびすぎてるから。こんな風にぶっとばれちゃうと、わたしも愉快になってきちゃう。痛快だ。志村けんのバカ殿コントの中で聞こえてくる笑い声がおかしさを増幅させるのと似ていなくもない。
 でも、オグラの歌は、能天気という言葉だけでは括りきれぬ、なげやり、やけくそ、もうどうにでもなっちまえ、みたいな空気を孕んでいて、北風がぴゅーっと吹きぬけたりもする。

 『ルンルン サイクリング』でオグラは歌う。
 「このまま どっか行っちゃおうかな?」 うんうん、行っちゃおう! そんな気にさせておいて、オグラはこう続ける。
「あっ! しかし チェーンが外れた…」 …マヌケである。一緒になって能天気満開だったわたしは、突然どっか行けなくなり、うなだれる。ぶら~んと虚しくぶら下がるチェーンを見下ろして、世の中の理不尽さと自分の無力さをうっすら感じる。マヌケさの中に真実がある。

 哀愁にくるまれ能天気にため息つくこの人は、自嘲気味に「センチメンタルミュージシャン」とか歌ったりもするけど、そうなんだろうか? うーん、多分ね。

 『Mr.オルガの嘆き』で、オグラは歌の中の嘆きが「みせかけの嘆きなのか、真実のつぶやきなのか」を見極めようと徹底的に自分と向き合う。自分を見つめる自分と、自分に見つめられる自分。あんまり目を凝らしすぎて、ついには2人に分裂する。Mr.オルガの誕生である。
 『Mr.オルガの嘆き』は売れない音楽家、Mr.オルガの嘆きの物語だ。でも曲調は決して暗くない。北風にも負けずに元気よく行進していくイメージだ。「しかしついに彼は嘆き座り込んでしまった」。どうなるんだ、Mr.オルガ!?
 そして歌の途中で長いながいモノローグが入る。3人称の語りであったはずのMr.オルガの物語の中に、突如「私」なる人物が現われる。
 「私」は言う。「みせかけの模造品ではすぐにバレるし、真実のみの排便には誰も近寄りたくないものだ。『みせかけの真実』のようなものだけが、人のココロを揺するのだ、と私は確信した。」わたしも確信しちゃいました、Mr.オルガ。
 わたしは最初、この創作の手の内を曝しているような無防備なモノローグの語り手はオグラだと思っていた。しかし、「私」なる人物は、最期にこう言う。
 「最期に私のスペルを覚えて欲しい、『O, R, U, G, A,』/このあと、私は残照の中に、もうひとりの自分を見ることになるのだ…」「私」とはMr.オルガであったか。
 物語の中にいたMr.オルガが、突然、語り手となって前面に出てくる。これって、映画を見ていたらスクリーンの中の役者が、ふいに演技をやめてスクリーンから飛び出してきて、芝居論をうつような感じじゃないか? 世界の境界線がなんだかよくわからなくなり、わたしは、ぐるぐる、ああ、めまい。

 モノローグが終わると、静寂の中から、また歌がゆっくりと始まる。

  お日様は沈みながら 真っ赤に空を染める
  彼は見た、圧倒的な光のかさぶたを
  眼球を貫通する 圧倒的な美ぼう
  その光のかさぶたから 誰かの声がする…

  Mr.オルガ 軽薄に嘆くのはやめたまえ
  無能な君に出せる光が一色しかないのならば
  Mr.オルガ 始めたまえ さあ、つづきを始めたまえ
  そこよりも前方へ ホコリ高いその靴で! LaLaLa…

 歌のクライマックス、「誰かの声がする…」から「Mr.オルガ」と呼びかけるところ、オグラの歌い方も熱い。「光のかさぶた」から聞こえてくる声なのだ。
 そして「光のかさぶた」は、Mr.オルガの嘆きを「軽薄」と断じ、天才音楽家気取りの彼を「無能」と呼び、しかし、それでもMr.オルガを励ます。彼を前に歩ませるために。

 Mr.オルガの物語を語り、Mr.オルガとなり、また物語の語り手に戻って、最期は「光のかさぶた」である。忙しい9分19秒だ。(すごい大作!)
 前に、この曲の調子は決して暗くない、と書いたけど、そう、だってこれは励ましの歌なのだ。オグラは自分で自分を励ましている。そうでもしなきゃ、やってられないじゃないですか。そして停滞気味のわたしも、この歌を聴いていたらなんだか励まされてしまった。

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スズキコージライブペインティング

もうずいぶん前のことになってしまいましたが、第1回 トムズボックス社運をかける企画『スズキ・コージライブペイインティング作品一挙大公開』なるものに行ってきました。
初日は入場料600円とは思えないほど「お楽しみ」が盛りだくさんで、スズキコージさんのライブペインティングはさることながら、インチキ手回しオルガン師のオグラが出てくるわ、ベリーダンスのお姉さんたちは出てくるわ、無料のオードブルもちょっぴりだけど頂けたし、本当に楽しくてお得な半日を過ごせました。

会場の「アートコンプレックス」は、地下ですが思っていたよりも広く、ステージもあるし、長い部屋の両端は少しとんがり気味で不思議な形をしていました。スズキコージさんがステージで喋っていたときに、「船の中にいるみたい」と言ったのが印象的で、途端にわたしは巨大客船の中に佇んでいる気分になって、ますますワクワク楽しくなれました。

会場の壁を覆う巨大な作品群は、ひとことで言うと、異様な(?)生命感に満ち溢れていて、とにかく圧倒されました。作品が大きいからなのかなあ、とも思ったけど、単に大きな絵をかけば迫力がある、というわけでもないと思います。スズキコージの生命力みたいなものが、絵の大きさに比例していった結果、見る人を圧倒するという感じ。作品の中に描かれているファンタジーっぽい世界は、ちょっとシャガール風でもありますが、シャガールほど繊細な印象はありません。

今回の催しは、ライブペインティング、ということで、スズキコージさんがステージで絵を描くところを実際に見られるのがウリの一つだったのではないかと思いますが、わたしが居たときは、たぶん、30分も描いてなかったと思います。(お昼過ぎくらいにけっこう描いてたらしい)
でも、少しでも描いている現場を見ることができて、ああいう迫力のある作品がどうやって生まれてくるのか、そのヒミツを少しだけ覗けたような気がしました。

スズキコージさん、なんと、手で描いてたんです。

会場でスズキコージさんを見かけたとき、手袋をはめてるのかな? と思ったほど手が絵の具で覆われていたのですが、筆を使わないからだったんですね。(ボディペイントみたいにわざと手を絵の具まみれにしていたようにも思えますが・・・)
手や指で直接キャンバスに絵を描くのって、原始的な臭いがして、なんかいいなーと思いました。精緻な絵では表現できない、とても力強い生命力みたいなものが画面から噴き出してくる感じ。
ただ、決してあの絵から連想されるような、猛々しいような、激しい描き方(?笑)ではありませんでした。意外にも、すごく静かに淡々と描かれていました。どちらかというと、お祈りしている人に近い感じ。

スズキコージさんて、今年で確か60くらいらしいですが、ベリーダンスのお姉さんたちと一緒になってステージで踊ったり、ラッパ鳴らしたり、紙ふぶき撒き散らしたり、とてもエネルギッシュでした。
ベリーダンスが生命源なんだろうか・・・?
絵を描いているときの静謐さとは対照的でしたが、こういう時のスズキコージさんの方があの絵から伝わってくる印象に近い気がしました。。。

どうでも良いんだけど、実物のスズキコージさんを見ていたら、中島らもを思い出しました。
わたしは人の顔かたちにはあまり興味がないので、写真で見比べたら全然違うかもしれませんが、雰囲気がとても似ているような・・・。といっても、中島らもを見たのも一度きりなんですが・・・。でも、この2人、同じ臭いがする気がします。

それはさておき、このイベントで、しかし、わたしはもっと心揺さぶられる人を見たのですが、その話はまた明日。
今日はこのへんで失礼します。

あ、ちなみにこのイベント、今月28日(日)までやってます。
最終日はClosing Partyもあるようです。

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物語の核。

 1週間ほど前に「陽炎の辻2」のことを書いて投稿しましたら、アクセス数が急増し、ビックらこきました。ブログのアクセス解析機能が壊れたのかと思ったほどです・・・。
 あらためて「陽炎の辻」ファンが大勢いることがわかり、ちょっと複雑な気分になり、そして、このブログにたどりついた人の「チッ」という舌打ちが聞こえるような気がして、ひやひや、どきどき、恐ろしく、申し訳ない気持ちになりました。

 ブログのトップページにも検索フレーズランキングが出るようになってしまいました。ご覧のとおり、1位「陽炎の辻」、2位「山本耕史」、3位「耕史」・・・あら? 変わってますね。3位は「陽炎の辻2」になったようです。

 かく言うわたしも、ネットで「陽炎の辻」を検索したことがあります。NHKの土曜時代劇のホームページで壁紙もダウンロードしちゃいました。写真館ものぞいちゃいました。(個人的にはもっと殺陣のシーンの写真を入れてほしかった・・・)
 ダウンロードした壁紙は、しかし、あまりにも磐音がカッコ良すぎて、「こんなの見てたらリアルな世界を生きていけなくなってしまうワ」とヘンに恐ろしくなってしまって、1~2分後には別のものに変えてしまいました。 アホやねん。

 「陽炎の辻」ファンの存在に気づいて複雑な気持ちになったのはなぜだろう・・・? としばらく考えていて、はたと気づいたことがあります。
 まったくバカバカしい話ではありますが、わたしはこのドラマの、特に最終回は、とても「個人的」に見てしまっていたのです。自分の経験を織り交ぜて、まるで自分のストーリーのように受けとめて見ていた、ということです。だから、わたしの目は磐音を見ていたのだけど、そこには自分自身が重なって映っていて、一体わたしは何を見ていたの? という感じですが、でも、見ていた瞬間は本当にそうでした。
 一応、ブログには他人とも共有できる(と思われる)、裏の赤い着物のカッコよさについて書いていましたが、「陽炎の辻2」の最終回はわたしだけのもののように錯覚していた部分もありました。
 そんなわけで「陽炎の辻」という検索ワードを手がかりに、こんなにたくさんの人がこのブログに漂着したことに戸惑いを感じてしまったわけです。

 ドラマに限らず、小説などのストーリーを追うというのは、その登場人物の人生を共に生きることなのですが、ストーリーを追っている「わたし」が存在する以上、自分の過去の体験や感情その他もろもろが自分でも気づかぬうちにストーリーの横糸として織り込まれていき、厳密に言うと、辿っているストーリーは一人一人、違うものではあるのでしょう。
 ただ、人は生きていれば誰しも出会いや別れを繰り返すことになるのが自然で、そういう普遍的な人生の側面があるからこそ、このように自分自身を他者の人生に織り込んでいくことができるのだと思います。

 他人を理解するなんてさらさら不可能なことではありますが、それでも人は何とか理解しようと歩み寄ろうともします。どのようにして歩み寄るかといえば、しかし、結局のところ、人にできることは、自分自身の人生を振りかえって、ごそごそと手探りすることでしかないのでした。

 物語の核って、実はすごく普遍的なものだったのか・・・とか思ったのでした。

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陽炎の辻2

NHK土曜時代劇、『陽炎の辻2』が最終回を迎えてしまいました・・・。

・・・寂しい。

主演、山本耕史。
三谷幸喜の「新撰組!」で土方歳三を好演して以来、時代劇という思いがけないジャンルで主演を務めるようになった人です。

山本耕史くんの土方歳三はとても評判でしたが、わたしには「へー、あんなになよなよしていた『ちい兄ちゃん』がねぇ・・・。眉毛を10時10分の角度に描いて、眉間にしわ寄せると、人って変わるもんだねぇ、という程度には感心したのですが、しかし、その程度でありました。

「陽炎」の主演と聞いても、ふーん、土方役がよっぽどハマったのねえ。NHKも使いまわすよなあ、くらいのリアクションでありました。じっくりと「陽炎」を見ることもなく、いつの間にやら「陽炎2」が始まっていましたとさ。

ところが!

あるとき、何気なく見た「陽炎2」。
山本耕史の衣装を見て、何やらよくわからぬトキメキのようなものがわたしの中でキラキラと炸裂しました。
だって、だって・・・、山本耕史くんが、

裏の赤い着物を着てるんですもの!!!

これに、すっかりやられてしまったのでした・・・。
小学生の頃から色々な時代劇を見てまいりましたが、裏の赤い着物を着ている主人公は初めてかと存じます。
着物の表地は、黒。(というか、黒っぽく見えるけど、本当はチャコールグレーなのでは・・・とずっと訝っております)
そして、襟元や袖口から、ちら、ちら、と赤がのぞくのです。

こんな粋な衣装を着ておりますから、当然のことながら殺陣のシーンは通常以上の見せ場となります。赤い裾を翻して剣の達人が舞う。こんな見せ所のある時代劇、ちょっとお目にかかったことがありません。

わたしが初めてテレビで見た時代劇は「遠山の金さん」。
「金さん」の見せ場は何といっても、片肌脱いで桜吹雪の刺青を見せて啖呵を切るあのシーン。当時、小学1、2年だったわたしは、金さんにメロメロでした・・・。

時代劇のヒーローには華がなければならない。爾来、これがわたしの信条となりました。ゆえに、黄門様はだめなのです。枯れ過ぎです。スケさん、カクさんはしょせん脇役です。

なんてことない土曜時代劇だったはずなのに、山本耕史の衣装によって、わたしは「陽炎2」にのめり込み、あの粋な衣装に気づいてからは毎週欠かさずに見ていました。
残念なのは、一回の放映時間が30分しかなかったこと。ストーリー展開がちょっとバタバタしてるところもありました。おまけに、殺陣のシーンがないときも。一番の見せ場なのにぃ・・・。

とにもかくにも、裏の赤い着物を着た山本耕史くんが見たくて毎週楽しみにしていた「陽炎2」。
でも、だんだん磐音という主人公にも惚れていきました。
というのは、この主人公は暗ーい過去を背負っているのです。やむにやまれぬ事情で、許婚の兄を切ったのでした。許婚は家計を支えるために花魁に。
花魁への想いを断ち切れぬまま、町娘のおこんとも出会い・・・。なんか優柔不断な感じもしますが、そんなにスッキリ、サッパリ、キッパリとはいかないのが人生じゃないの、という感じでそそられます。
単なる剣の達人ならば、裏の赤い着物を着ていてもここまではハマっていないはず。なんつーか、業のようなものを背負って生きている磐音は、ただのウルトラマンでもなく、おいしいところを突いてるのよね。

最終回、花魁と磐音が障子越しに話をするシーンは、わたしも一緒になって涙です。「障子を開けてはならぬ」と厳しく言う磐音さん、あんた、聖人ですか、と言いたくなるけど、磐音は磐音で声もなく静かに涙を流しているのです。抑え目の演技をしてきた山本耕史くんが泣いている! さすが最終回。わたしも一緒になって、涙がつつー。あんた、やっぱ人間だよ。つつー。運命に翻弄される、小さな生き物だよ。つつー。

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究極のお昼寝

秋の、うららかな日です。

ウールのカーディガンを着ていたら、だんだん体がぽかぽかしてきて眠気をもよおします。

こんな日は、外を散歩するとか、何かこのお天気を満喫することをしてやろう、という気になったけれども、睡魔に勝てず、やらねばならぬアレコレを放り出してお昼寝することにしました。
しかし、ただ眠るにはもったいないほど気持ちのいい日。そんなわけで、とびきりのお昼寝スポット見つけ出して、究極のお昼寝をしてみることにしました。

意識朦朧としつつも五感をオンにして家の中をふらふらとさまよい、窓辺の陽の差すあたりに落ち着きました。気分は猫です。
あたたかな場所って、明るい場所でもあり、お日様の臭いも、何だかある気がします。
ウールのカーディガンが自分の体を包む毛皮のようで、お日様に温められて、さらにぽかぽか。あ~、猫もこんな気分なんだろうな。今なら猫語も通じそう。

いつも定位置にあるベッドに寝るのもいいのですが、時間とともに移動する「ぽかぽかスポット」を追い求めて眠るのも何だか贅沢ですね。移ろいゆくものは、一瞬、一瞬がいとおしいです。
体をまるめて、お日様の中に身を置く喜び。ああ、贅沢。なんて贅沢。

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オー、ベイビー!

、という名前のボディ用スクラブを使い始めました。

インターネットの口こみサイトですごく評判が良かったので買ってみたのですが、なるほど、確かに良いみたい。
お塩のような粒々が入っていますが、お店の人の説明によると、ただの塩ではなくて温泉成分を含むものだそうです。温泉に入るとお肌がつるつるになりますが、それと似た効果が期待できるみたいです。

お風呂上り、お肌は本当にすべすべになりましたが、一番すべすべになったのはスクラブを摺り込むときに使っていた「てのひら」でした・・・。
化粧水を顔につけたとき、なぜかスクラブを使用していない顔がすべすべ。。。髪の毛を乾かした後に頭をなでると髪もいつもよりもつるつる。。。要するに、てのひらが滑らかになったから、何を触っても、すべすべつるつる、なのでした。
肘や膝がスクラブに擦られてすべすべになるなら、スクラブを擦り込んでいるてのひらがすべすべになるのも当然のこと。相互作用です。でも、指紋が薄くならないかとちょっと心配になりました。

人工的にピカピカに磨き上げられたようなものを除くと、世の中のたいていのものには「ざらつき」があって、摩擦というのは、互いが互いをこすりあい、逆立て、荒立て、しており、自分の「ざらざら」が少々研磨されると、他のざらつきも、さほど気にはならなくなるのですね。あたりまえのことなんだが、なんだか、「なんだか」でした。

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市民プールでエクササイズ

8月のある日、慢性的運動不足であることに突然気づいて市民プールに行きました。
そこで衝動的にプールの回数券(10回分)まで購入してしまいました。

しかし、その後は例の便秘騒動やら試験やらもろもろのことがあって、プールに足を運んだのはたったの2回。気がつけばもう10月ではありませんか。回数券の期限は11月5日までです。
プール、プールに行かねば。

今日はちびっこ水泳教室の時間にあたってしまって、プールの半分くらいが使えず、間の悪いこと。
腰にトイレットペーパーみたいな形の浮きをつけたちびっこたちがバタ足の練習をしているのを横目に見つつ、わたしはウォーキングです。
なんか子どもの頃のことを思い出したぞ。はあ~。

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入間のアウトレット

久々の更新です。
ふと気づけば9月は一度もブログ書いてなかったですねー。
そして今日は10月1日。早いなあ。今年もあと3ヶ月です。

さて、今日は入間のアウトレットについてです。
1週間ほど前に行ってきました。
美容院の人に薦められて。

入間の駅から西武バスで約15分。
お隣には話題の「コストコ」もあって、そちらにも心ひかれましたが、今回はとりあえずアウトレットへ。
美容院の人に教えられたアウトレット必勝法は、「とにかく朝いちで行くこと」。
というわけで朝いちを目指しましたが、10時開店で、着いたのは10時10分くらい。「朝二」になってしまった。。。
すでに人はたくさんいましたが、思っていたほどの混雑ぶりでもないというか、店によってお客さんの入り具合が全然違うようです。いかに値段が安くなっていようと、元値が高い店はどちらかというと閑散としていました。あ、でもCoachには人が大勢いたようです。

とりあえず2時間ほどうろうろしてお昼にしたのですが、レストランは長蛇の列! 買い物に来ているのにこんなところで時間を潰したくない! というわけで、パパッと食べられそうなフードコートに行くことにしました。
しかし、こちらでは熾烈な座席争奪戦が繰り広げられていました。。。祝日だったからかもしれませんが、座席数が圧倒的に足りなくて、もうすぐ食事を終えそうな人のまわりでは、その席をハイエナのごとく狙う人たちが待ち伏せているのです。。。食事の終わらぬ人たちに、「次、この席いいですか?」と声をかける積極派もいて、わたしは圧倒されました。。。
アウトレットの中にはファミマもあるので、おにぎりとか買って適当に食べちゃうのもいいかもしれません。

15時頃にはもうアウトレットを出てしまったのですが、見残したお店もまだまだありました。でも、予定よりも多く買い物ができてそれなりに満足感は得られたので、また来ればいいかな、という気分でそそくさと帰宅。 ユニクロ並のお値段で、セーターとカーディガンを4枚もゲット♪ これでもう「毎日同じ服着てる」と言われずにすみます。

美容院の人はすでに4回行ったと言っていたけど、わたしもまた行く気、満々です。西武線沿線に住んでいる人にとっては特にオススメです。新宿などに行くことを考えれば、入間のアウトレットに行くのもいいかもしれません。お店の数も多いし。でも、あのフードコートだけは何とかして欲しいわぁ。次回は入間の駅で何か小腹に入れてから行こうかな・・・。

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くるくる。

ご無沙汰しております。

夏休みはもっとマメに更新できるかと思いきや、あれやこれやの諸々の事情で滞っておりました。

さて、この数日間は何をしていたかと申しますと、、、なんつーか、とてもひと口に言うのは難しいのですが、要するに、「地獄を見た」っちゅうことでしょうか。。。

何を大仰な・・・とおっしゃるかもしれませんが、わたしにとってはまさに「生き地獄」。ホントに、一日、一日が真っ暗でした。。。

さて、何の話かと申しますと、ワタクシ、先週からひどい便秘に悩まされておりました。なあーんだ、と思った方、あなた、まだ便秘のオソロシさをご存知ないのです。はあ~、あれは地獄ヨ、地獄。(今回のお話は「下(しも)」に関わることなので、汚いのが苦手な人は読まないで下さいネ)おまけに、わたくし、痔も患っておりますでしょ。もう、この二つが重なると、どうにもこうにも、まったく・・・。

まったく馬鹿馬鹿しい話ではありますが、「このまま一生うん○が出なかったらどうしよう・・・」とか、本気で考えだし、心象風景はもう真っ黒。

便秘フィナーレはまるまる3日間、オロオロしながらトイレとリビングを行ったりきたりするだけの生活。うん○を出すこと以外、文字通り、何も考えられませんでした。。。。。。いや、考えようとはしたのです。うん○が出た後の爽やかな生活とか、色々妄想してみましたが、便意をもよおすと妄想も中断せざるをえなく、しかも相手は1週間ごしの大もの・・・・・・もう、あんまり書くとグロいので詳細は省きますが、とにかく、壮絶な戦いだったのです。

うん○が出ない、それはすなわち、物を食べられない、ということにもなるのです。いや、うん○を出さないからといって、物を食べられないこともありませんが、そうなると腸内のうん○は確実に嵩を増していき、そうすると出口のないトンネルのように、わたしの中の地獄の闇もより一層深く、暗くなっていくのです。すごい悪循環、というか、これはもう「循環」ですらないのです。循環できぬ苦しみ。一方通行の袋小路――。

わたしというちっぽけな一人の人間の体内の「循環」がおかしくなってしまっただけでこんなに苦しいのだから、エコシステムの狂っている地球の悲鳴、歯ぎしり、食いしばりも相当なものなのでしょう。。。この世のあらゆるものが「循環」しているのでした。くるくると。それが「自然」というものなのよぉ。

ちなみに、わたしは現在、お通じをよくするためにあらゆる努力をしております。
・硬度の高い水を飲む
(これは先日、フィリピン滞在経験のある叔母と話していて気づいたことです。海外で暮らしていると、なぜか便秘になりません。わたしは食べ物が違うからかな・・・と漠然と思っていましたが、叔母は自炊生活だったので食べているものはそんなに変わらないから水のせいだ、と言っておりました。日本の水は確かに軟らかいです。というわけで、今はバリバリ硬度の高いコントレックス飲んでます。エビアンよりも高い! でも、コントレックス、はっきり言ってマズイです・・・。なので一日にコップ一杯くらいが限度)

・ヴィオフェルミンVCを毎食後2錠飲む
(薬の力も借ります。とにかくお腹によい菌を増やします。ヨーグルト食べてるだけじゃもう追いつきませんから・・・。でも、ヨーグルトも食べてます。)

・ご飯を胚芽米に切りかえる
(以前、ハハが間違えて胚芽米を買ってしまったことがありました。仕方ないのでしばらくそれを食べていたのですが、そしたらお通じが妙に良くなって、とっても「快腸」でした。普通の白米よりも食物繊維が多いみたいですね。胚芽米は玄米ほど硬くなく、ふつうの白米を食べているのとそんなに変わりません。食べやすいですヨ)

・水分補給をしっかり
(夏は汗などで体内の水分が失われがちですが、とにかくマメに水分補給をします。腸内の水分が少なくなると、うん○も硬くなってしまうようです)

・野菜、果物など食物繊維をできるだけ摂取する
(あたりまえのことですが、やはり心がけがあるのとないのとでは違います)

なにが効いているのかよくわかりませんが、ここ2日間は「快腸」です。

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どわっ

さきほど、関東地方で地震がありました。

震源地は多摩東部、八王子、町田あたりで、震度4とのこと。

多摩西部にある我が家も、ぐらっ、ときました。

今まで地震がきても恐いと思ったことなかったのですが、今回の地震にはドキッとしました。一瞬のことだったのですが、一階にいたにもかかわらず、思わず体のバランスを失ってしまうほど。こんなの初めてです。

といっても、ここらへんは震度3の揺れだったみたいで、言われてみれば食器棚も本棚も無事ではあります。何一つ壊れていません。でも、あの一瞬の「ぐらっ」は本当に恐かったです。

首都圏直下型地震、侮っていてはいけない気がしてきて、災害時用の銀色リュックを思わずひっぱりだしてきてしまいました。

中身を確認。かんぱん、水(3本)、簡易食器(3セット)、水でもどして食べるきな粉もち。固形はちみつと、五目ごはんの缶詰は賞味期限切れ。・・・・・・やっぱりいざという時に備えて中身は定期的に買い換えないとダメですね。

本当に大きな地震がきたら何も考える暇などないのでしょうけど、ついつい、今は考えてしまいます。ブログ書いてる場合じゃなかったりして。。。

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小説を読みはじめるとき

 時間があると読書なぞしてみたりします。
 
 読むのは、エッセイとか、英語関係の本、詩、短篇、長編小説。
 ノンフィクションは、ものにもよりますが、相対的に読むのにあまりエネルギーを使わない気がします。ところが、フィクションになると、もう、これはすごくエネルギーを必要とします。だから、元気じゃないと読めない。
 とくに、小説の出だしは疲れます。現実の世界から虚構の世界へのシフトは、電気のスイッチをパチンと消したり点けたりするようには、わたしはいきません。齟齬がある、というか、とにかく、ざらざらした感触があります。わたしを取り囲む現実(つまり、温度とか、湿度とか、時間帯とか、部屋の明るさとか、臭いとか、お腹の空き具合とか、眠さ加減とか、お腹が痛いとか、足が痒いとか、鼻が詰まっているとか、職場で嫌なことを言われたとか、手紙を待っているとか、もう、書き出すとキリがないからやめますが、とにかく、もろもろの、現実)、そうした現実と、小説の活字を追うことが、互いに拮抗しているので、すぐには没頭できないのです。そんなだから、本を読むのが好きだけど、同時に億劫でもあります。
 小説を読むというのは、断崖絶壁から海に飛び込むようなものです。荒れ狂う海の波を見下ろし、ああ、こんな恐ろしいところには飛び込みたくないなあ、と思って躊躇してしまう気分に似ているかもしれません。しかし、同時に海はひどくわたしを誘いもするのです。抗いがたい魅惑をおぼえます。そして、意を決して飛び込むと、もう、海に入るまでの短い時間は、恐怖です。落下しながら、現実が見える。風景は真っ逆さま。海がどんどん迫ってくる。風が肌を逆撫でしていくような感触。泳げるかどうか、自信もない。
 絵本を読み始めたのが、3歳かそこらだとすると、わたしのフィクションとのつきあいはかれこれ30年近くなるのですが、いまだにこういう気分は抜けません。不思議なものです。小説って何だろう? と思います。小説を読んでいるとき、わたしの意識は確かに虚構世界に居るのですが、同時に身体は現実に置き去りにしていかざるをえないのです。いや、わたしの意識とて、どのくらい虚構世界にいるかは定かではありません。虚構世界と、現実をまたいでいることも、ありうるのです。それどころか、作者が作り出した虚構世界にプラスαの世界を付けたしてしまっているかもしれません。作者が描いた世界に、勝手にドラえもんの「どこでもドア」のようなものを取りつけて、別の世界に旅立ってしまうことが、わたしには少なからずあるようです。こうなると、もう、ビョーキかもしれません・・・。
 話が少々脱線しましたが、要するに、小説を手に取り、読み始める、これにはすごいエネルギーが必要だし、ストレスもかかります。

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」、で始まる「雪国」。この書き出しは、小説を読み始めるときの気分にとても重なります。
 汽車が国境のトンネルを走る間、真っ暗闇の時間が続き、黒い煙が車体をとりまき、狭いトンネルの中では線路を走る車輪の音が反響し、エネルギーがトンネルという閉ざされた、しかし、入口と出口はある空間に充満し、そして抜けていくあの感じ。あれは、まさに小説を手に取り、読み始め、自分をとりまく現実に小説の活字が覆いかぶさり、絡み合い、拮抗し、この先いったいどこに連れていかれるんだろうという不安、そしてやがて視界が開けるという感じに見事にリンクしています。

 小説を読みはじめるのは億劫であり、しかし、中毒のようにやめられません。

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かえるてん

高円寺で開催中の「かえるてん」に行ってきました。

久々に来た高円寺の街は、なぜかアフロヘアーの人が多いような気がしました・・・。さすが、高円寺。

DM片手に道に迷いつつ「たまごの工房」に到着。小さなスペースの中はかえるでぎっしり! トートバッグや、Tシャツ、絵葉書、アクセサリー、携帯ストラップ、シールにハンコ、マグカップ、かえるの置物まで・・・! 小さな空間の中で、濃密な「かえる・タイム」を満喫できました。あれこれ物色し、お財布とも相談した末に、ぽち袋とエコバッグと・カンバッチを購入。わたしの買ったエコバッグは、脱力系のかえる君の下に「KAHO WA NETE MATE」の名言がいい感じです。お会計をしたら、レジのお姉さんが「実はこのエコバッグの作者です・・・」とおっしゃって、そこから少々立ち話。レジのお姉さん兼エコバッグの作者のその方は、「たまごの工房」のオーナーさんでもありました。「脱力系のかえる、いいですね~」と言ってみたら、「本人も脱力系です~」とのこと。作品には作者の性格がにじみ出るのですね。。。ほんわかマイペースな感じの人で、癒されました。このエコバッグを棘々の職場で使ったら、ささくれた気分も穏やかになるかも・・・。

高円寺の駅まで戻る途中、少しだけ商店街の中を散策。文房具屋さんでペンを買ったり、インド雑貨のお店でスカーフを買ったりして、金曜日の午後のリフレッシュといたしました。

家に帰ったらアマゾンUKからDVDが届いていました。日曜日の夜に注文したのに、もう来たの!? 世界はまあるく小さいなあ・・・。

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でんでんむしむし・・・

入梅したのに雨の降らない日々・・・と思っていたら、今日は早朝から雨の音が聞こえてきました。

朝、仕事に行く途中、薄いベージュ色の物体がゆっくりと道を横切るのを発見。

かたつむりでした。

久々に見たなあ・・・。何年ぶりだろう? しかも、今朝見たのはかなりデカかったです。殻の部分は直径3㎝ほど。こんなにデカいかたつむりを見たのは初めてかも。すげー。

何がすごいって、こんなに大きくなるまで、生き延びてきたことがスゴいです。天敵はたくさんいるだろうに。かたつむりの殻なんて、小鳥の硬い嘴でつつけば、簡単にパリンと割れてしまいそうなのに。そして、あの超スローな動き。あんな移動の仕方でよく敵から身をかわしてきたなあ、と感心してしまいます。それほど、かたつむりはのろいではありませんか。

音もなくゆったりと路面を滑るかたつむりに、通勤途中の足は自然と止まってしまいましたが、こんなもんが道路を横切るのを見守っていたら遅刻するワ、と思い直して、こちらは駅までスタスタ。でも、あの妙にデカいかたつむりの殻と、ふくよかなボディは脳裏に焼きついて離れません。

あそこまで成長するには、波乱万丈の物語があったはずです。カラスに啄ばまれそうになったり、猫にパンチされそうになったり、自転車に轢かれそうになったり、子どもに捕まりそうになったり、、、でも、そういうハラハラ、ドキドキな瞬間とは裏腹に、本人は全くのマイペースでのんびりと滑るように地面を這って生きてきたのだろうなあ、とも思うのです。案ずるより産むが易し、みたいなスタンスで。

あんなにのろのろと通りを渡っていたら、今に自転車に轢かれますよ、というこちらの心配を他所に、かたつむりは、大丈夫ですヨ、どうにかなりますヨ、と言わんばかりのマイペースぶりでありました。なんか、こういうものには誰もかなわない気がします・・・。

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副都心線、走る。

副都心線が土曜日に開通しました。

地元の駅のホームに、渋谷行きの電車が入ってくるようになったということでもあります。不思議です。子どものころ、西武線のホームに来る電車はみんな池袋を目指して走っていたのに、いつの頃からか、「新木場行き」が入り混じるようになり、ついには「渋谷行き」まで! 便利になった反面、路線図がまた複雑化したともいえますが、渋谷まで一本で出られるなんて夢のようです。

池袋や渋谷といった繁華街は、良くも悪くも本当に色々な人が集まる場所なので、この間の秋葉原事件のようなことが起こらないとも限りません。というか、昔、ありましたね。池袋のサンシャイン通りで通り魔事件が。そして、さきほどテレビのニュースで知ったのですが、池袋での殺人予告がネットに書き込まれていたそうです。警察につかまったようですが・・・。

ネットの掲示板に書き込みをして、一体どれくらいの人が見てくれるんだろうか・・・と不思議でなりません。かく言う私も、こんなブログをちょこちょこ書いているのですが、ぶっちゃけ、このブログを見てくれる人なんてほとんどいません。時おり、何かの拍子にアクセスしてくれる人がいるみたいですが、レア・ケースと言えましょう。そんなものを、では、なぜ書くのかといえば、万が一にも誰かが読んでくれれば、という「祈り」にも似たような気分で書いているだけです。ネットに書き込まれる殺人予告も、あれは、畸形の「祈り」と言えなくもないかもしれません。

私は特定の宗教の信者ではありませんが、「祈り」という行為は神様と何かしらつながりを求めてなされるもので、その発露はとても神聖なもののように思えます。しかし、人間が自分のために祈るとき、たいていは、自分にとって都合のいいことが起きますように~、という自己中心的、我利我利な、自分さえ良ければ他人はどうなろうと知ったこっちゃない的お願いになり下がるみたいです。そういうお祈りをする人は、見返りを求めます。とても激しく。しかし、そもそも「祈り」の声は神様に届くかどうか、はなはだ心もとないものなのです。見返りなどアテにすることが間違いです。じゃあ、祈るのなんてやめちゃえ、ということになりますが、私は、個人的に、人間は祈らざるをえない動物なのではないかと思っています。しょせん我々は小さな生き物のひとつに過ぎないのですから。

「祈り」は、自分の無力さを感じたときの、ため息のような、どこかへすうっと吸いこまれてしまうような類の発話なのかもしれません。「祈る」とき、人は孤独です。無力で、孤独で、なんだか救いようのない人生ですが、「祈る」ところにしか希望の光は差さないとも言えます。そんなわけで、ブログをちまちまと更新しているわけです。。。

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白い鯨の尾。

職場で裏紙のメモ帳の束の一枚をピリリと破り捨てたら、モービィ・ディックの書き出しの文章を写した紙がふいに表れたりして、自分の整理整頓の悪さを恥じつつ、ブンガクなんてすっかり忘れ去ったはずの日々の暮らしに、実はブンガクが潜んでいたのか、という吃驚愉快な気持ち。メモ帳は、4月からずっと仕事場の机の引き出しにあったのでした。

こんな出会い方も悪くないかもしれません。本を開くことをやめてなお、本に出会う。しかも思いがけない場所で。白い鯨の尾が音も無く日常生活をそおっと撫でていったようです。

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雷鳴。

疲れていたので早々と布団に入って、消灯。薄暗い部屋の中で、身体はくたくたに疲れているのに、頭は変に冴えてしまってなかなか寝つけずぼーっとしていたら、雨がぽつり、ぽつり、と降り出す音、ゴロゴロいう雷の音が聞こえてきた。

部屋の中にぴかっと光が走り、雷鳴が轟き、雨の音がどんどん激しさを増してくると、雨空に本能的な畏怖の念を感じてしまう。こういう空はいいな、と思った。

雷の、バリバリと空を引き裂くような音を聞いていると、まるで自分が洞穴からなすすべもなくじっと空を見つめる一匹のウサギみたいな気持ちになってきて、自分の無力さやら、非力さやら、とても痛感し、でも、それが妙に痛快でもあるのは不思議なものです。

空はまだまだ吼えています。

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虚構映像の時代。

5年間使った携帯(臍の緒つき)に、昨日別れを告げました。

新しい携帯はHITACHI製。信じられないくらいに薄っぺらくて、テレビまで見れちゃって、な、なな、なんと! テレビ番組の録画もできるのですね。わたしはNHK教育テレビの語学番組を録画してみようかと思ってますが、目下、取説と格闘中。ふだんあまりテレビを見ないけれども、これを機にテレビ漬けになったりするかしら。。。

でも、携帯の小さな画面の中で、テレビCMまでもがちまちまと流れてるのを見ると、広告社会のモンスターのような大波がついにこんなところまで押し寄せてきたか・・・と、正直、恐ろしくもあります。

「恐ろしい」で思い出しましたが、昨日テレビ見ていたら、馬が2頭お尻を地面につけてテディ・ベアのようにお座りしているCMに出くわしました。馬がそんな座り方できるわけないじゃない、あれはCGか何かでしょ、と私は言ったのですが、なんとわがハハは馬だってああいう風に座らせればお尻をつけて座れるのだ、と本気で信じているのです。・・・・。

でも、思ったのは、世の中の多くの人は、あらゆる器官の中で一番視覚を頼りにしているっぽいのよね。百聞は一見にしかず、と言ったりしますし。今はCGでどんな映像でも創れてしまうから、その虚構映像を真であると信ずる人も当然出てきますわな、わがハハみたいに。

リアルを知らない子どもに、CGの映像をリアルだと思い込ませるのは実に簡単で、そういう虚構映像にたくさんさらされて大人になった人間に、現実と虚構の区別をどうやってつけろと言うの?? 紙おむつのCMを見て、赤ちゃんのオシッコが青くありません、と心配しながらメーカーに相談の電話をするお母さんのことを、アハハハ、と笑えた時代を懐かしく思う日がもうじきやってくるかもしれません。どうしてうちの犬は人語を話さないの? と本気で悩んでいる子どもが、世界のどこかに確実にソンザイしています。

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おおおおおおおおおおおおオオ大おおおオおおおおおオオ大お

金曜日が終わりました。。。

いや、まだ終わってはいないのですが、仕事が終わると、すべてが終わったような感慨があります。

今週は残業三昧。たまには、仕方が無いですね。

ブログの更新も思うようにいきませんが、マイペースにやっていきます。

前回の投稿は、今読むと意味不明でお恥ずかしい限りです。。。あの文章、書きながら眠りこけてしまって、はっと気づいたら画面に「お」と「オ」と「大」の字がだーっ、と何行にも亘って並んでいました。前衛的です。

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお大オオ大おお大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大おおお大おお大おおおおお大オオ大オオ大オオ大オオ大おお大おおおおおおおおおおおおおお大おお大オオ大オオ大オオ大オオ大お大オオ大オオ大お大オオ大おお大おおおおおお大オオ大オオ大オオおお大お大お大オオ大オオおおおおおおおおおおおお大オオ大お大おおおおおおおおおおおおおおおおお、みたいな感じ。

なんか、見た瞬間、恐かったです。。。

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携帯の臍の緒

携帯電話が壊れました。

厳密に言うと、充電する機械が壊れました。携帯本体に差し込むあたりの部品が割れてしまって、なんと本体から充電用のコンセントが抜けなくなってしまったのです。

使うことはできます。でも、携帯にはいつも長いコンセントがぶら下がっていて、すごくヘン。ヘンだけど、まあ、いいか、とも思っていた。ところがっ、、、!

昨日、TOEICを受けました。受験会場で「携帯電話の電源を切ったかどうか確認させていただきます」と言われ、げっ、と思った。こんな、充電用のコンセントがぶらぶらとぶら下がった携帯を出されたら、試験監督もビックリであろう。わたしも何だか恥ずかしい。恥ずかしいけど、見せろと言うのだから、しょうがなく、コンセントのあたりを手で隠すようにして見せた。

わたしの携帯は今、臍の緒がぶらぶらとぶら下がっているような、そんな状態です。

こんなだから、人生は悲喜劇である、と思ってしまうのだ。

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雨がふったら、ぽんぽろりん

昨夜から今日の昼過ぎまで、関東地方は暴風雨に見舞われました。

朝の通勤時間を狙い撃ちしたかのような、横殴りの雨がざんざん振りつけ、仕事場についたらズボンびしょびしょ、靴下もびしょびしょ。

わたしのように畑も田んぼも持たない通勤者にとっては、こういう雨降りの日は、ただただ、ひたすら地獄です。しかも、風がびゅうっと吹いたら傘をさす意味もなく、冷たいシャワーを横からどわっと浴びせかけられた気分。。。

風がふかなきゃいいんですけどね・・・。少しの雨なら、むしろ楽しいのですけどね・・・。

雨を楽しむ、といえば佐野洋子さんの『おじさんのかさ』という絵本を思い出します。

すてきな傘をもっているおじさんは、傘が雨にぬれてしまうのが嫌で、雨が降っても傘をさしません。雨がふったら、ぽんぽろりん♪ 傘にあたる雨の雫の音を聞いてみたくて、おじさんはついに傘を開く、というストーリーでした。

雨がふったら、ぽんぽろりん。この言葉、大好きです。灰色の空の下を歩いていて、雨がぽつり、ぽつりと降り始めたとき、傘をさすと思い出します。雨がふったら、ぽんぽろりん。雨の降り始め、乾いた傘に落下する雫は、ぽんぽろりん、と傘の上で弾むような音をたてて、楽し気です。

しかし、ぽんぽろりん、ならいいのですが、今朝の雨はどう考えても、ざんざんざん、という感じでした・・・。

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それぞれのシネマ

朝のラッシュ時、都営大江戸線はぎゅうぎゅうの満員状態です。

文庫本を開くこともできぬし、通勤者は辛いことよな・・・と思ったりもしますが、今朝は電車のドア横に興味深い広告を見つけました。黒地の背景にカラフルなカタカナの名前が列になって並んでおり、その中に「アッバス・キアロスタミ」の名を発見。その他にも、「ホウ・シャオシェン」、「ツァイ・ミンリャン」、「アキ・カウリスマキ」、「ウォン・カーウァイ」、「ヴィム・ヴェンダース」・・・おぉぉぉぉぉぉぉぉ! という顔ぶれ。

カンヌ国際映画祭60回記念製作映画「それぞれのシネマ」の広告でした。

キアロスタミの短篇は、去年ニューヨークのMoMAを訪れた際に、5本ぐらい観ることができました。

このとき観た映画はどれも、最初は「おや、」と興味をそそられる映像なのだけど、だんだん退屈になってきて、そのうち眠くなります。浜辺で波に洗われている木片とか、画面の端から端までよちよち歩いているアヒルとかの、単調な反復映像だから。それでもぼーっと観つづけていると、しかし、今度はハッと目が覚めるようなドラマティックな瞬間がやってきます。そこがストーリーの生まれる時ではないかと思いました。際限なく同じことが繰り返されそうな予感のする淡々とした光景。その中から突如ストーリーらしきものが誕生すると、それまで何の意味も感じられなかった、ダルい時間の積み重ね(と思い込んでいたもの)に対する視線までもが変わってきます。

MoMAで観た映画全部の「ストーリー」は書かない方がいいと思うけど、一つだけご参考までに。浜辺にうち寄せる波に洗われるようにしてころころと転がる木片。この「ころころ」がひたすら続きます。しかし、突如、この木片がぱかっ、と真っ二つに割れるのです。一つの木片はころころと転がりながら海へ出てゆき、ゆらゆらと波間を漂い沖へ向かう。もう一つの木片は浜に残されたまま・・・。これって、立派な「ストーリー」だと思うのですけど。。。

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