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白秋訳『まざあ・ぐうす』について

日本で初めてマザー・グースを翻訳したのは、北原白秋です。
角川文庫に入っていましたが、いまは絶版です。(アマゾンで調べてみたら「お風呂で読む文庫」というシリーズでは手に入るみたいです)

何年か前にみちくさ市で角川文庫の『まざあ・ぐうす』を手に入れたました。挿絵はスズキ・コージさん。和田誠さんとはひと味もふた味も違いますが、白秋の濃い~訳にはすごくあっている感じがします。

北原白秋訳はちょっと誤訳があったりして、いまは谷川俊太郎訳(講談社文庫)のほうがメジャーかもしれません。

谷川俊太郎さんは天才詩人であるから、もちろんマザー・グースの翻訳もすばらしいのですが、北原白秋訳とは明らかに違う点がひとつ。

マザー・グースはもともとイギリスの童謡なので、歌うものです。
しかし、谷川訳では歌えません。
全般的に原詩の音よりも意味を尊重して訳している傾向があります。

これに対し、白秋訳は歌えます。もう、この点においては訳した本人も自信満々なのです。

~『まざあ・ぐうす』(角川文庫)はしがきより~
「(略)その羽にかいてある字はイギリスの字ですから、わたしは桃色のお月さまの光でひとつひとつすかしてみて、それを日本のことばになおして、あなたがた、日本のかわいい子供たちにうたってあげるのです。そしてみんなうたえるようにうたいながら書きなおしたのですからみんなうたえます。うたってごらんなさい。ずいぶんおもしろいから。」

白秋訳は、うたいながら訳しただけあって、たしかに「うた」です。これは超訳と呼ぶしかないものです。
最近の翻訳はこういう超訳は敬遠される傾向がありますが、むかしの児童文学翻訳ではわりと普通だったみたいです。(ケストナーの『点子ちゃんとアントン』なんて、主人公の名前が明らかに超訳です。「点子」って日本人かよっ! といまならツッコミたくなりますが、思い返せば子どものころは何の違和感もなく読んでました)

マザー・グースの面白さのひとつに奇天烈なイメージの連鎖があると思いますが、原詩を読むと、そのイメージの連鎖はことばの音によって繋がれていることがわかります。(というか、初めに「音」ありきなのです。その結果、不思議なイメージが次々に現れる、というのが発生順序です。)だから、意味だけをすくいとってしまうと、不思議なイメージは残りますが、そのイメージがどこから呼び出されたものなのかがわからなくなってしまいます。
白秋訳は、ときにびっくりするような意訳がありますが、音の連鎖をなんとか再現しようとした努力のあとは伺えます。
うたとしての「楽しさ」をできる限り残した、と言えるのではないかと思うのです。

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