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2012年10月

今日のまざあ・ぐうす<4>

ねこにゃん ねこにゃん

ねこにゃん ねこにゃん どちらへおでかけ?
ロンドンへ じょおうさまにおめみえよ
ねこにゃん ねこにゃん そちらでなにを?
いすのしたのねずみを しとめてきたわ


<原詩>
Pussy Cat, Pussy Cat

Pussy cat, pussy cat, where have you been?
I've been to London to look at the queen.
Pussy cat, pussy cat, what did you there?
I frightened a little mouse under her chair.

断りの極意

 映画を見るか美術館へ行くかしましょう、という約束をしていたので、どうしようかな…と考えていたら、テレビで樹木希林が出演した映画(「ツナグ」)の話をしていたので観てみることにしました。
 涙腺が以上にゆるいので、映画の半分くらいは泣いてましたが、最後まで観てしまうとなんだか冷めた気持ちになってしまう作品でした。

 もう少し樹木希林の出番が多いのかなあと期待してたのですが、やはり主役は松阪桃李くんなのですね。桃李くんは背が高くてステキだから、まあいいんですが。

 帰りの電車の中で、ふと樹木希林がテレビで言っていたことを思い出し、映画とは全く関係ないのですが、その言葉をいまだに噛みしめています。

 それは、彼女が楽屋に届くお花を断る、という話でした。もらう方がラクだけど、お断りしてるんです、とのこと。
 確かに、断る方がエネルギーが要るよなあ、、、としみじみ思いました。

 別にお花に限った話ではなく、他人が自分になにかを与えようとしてくれているのにそれを断るというのは、そのモノと一緒にこちらに向かっているエネルギーをも拒絶するわけで、単にモノが移動するかしないか、というアッサリした話ではないと思うのです。
 それを敢えて断るのは本当に精神力のいることで、疲れちゃうだろうに、断固としてお断りする樹木希林は、腹ができてる人だなあとつくづく感心しました。

 そして、わが身を振り返ってみれば、なよなよ、なあなあ、受け取るばかりで、よい子の仮面にしがみつき、お断りがとても下手なのでした。本当にこれは大変なことです。まだまだ鍛練が足りぬなあ。。。

今日のまざあ・ぐうす<3>

おつきさまがみえる

おつきさまがみえる
おつきさまがみてる
かみさま おつきさまにおめぐみを 
かみさま わたしにもおめぐみを

おつきさまがみえる
おつきさまがみてる
かみさま おつきさまにおめぐみを
かみさま わたしにもおめぐみを

<原詩>
I See the Moon

I see the moon,
And the moon sees me;
God bless the moon,
And God bless me.

I see the moon,
And the moon sees me;
God bless the moon,
And God bless me.

今日のまざあ・ぐうす<2>

おおきな おおきな おきどけい

おおきな おおきな おきどけい
ねずみが するりと かけのぼる
いちじのかねがボーン
ねずみは びっくり かけおりる
おおきな おおきな おきどけい

<原詩>
Hickory, Dickory, Dock

Hickory, dickory, dock,
The mouse ran up the clock.
The clock struck one,
The mouse ran down,
Hickory, dickory, dock.

白秋訳『まざあ・ぐうす』について

日本で初めてマザー・グースを翻訳したのは、北原白秋です。
角川文庫に入っていましたが、いまは絶版です。(アマゾンで調べてみたら「お風呂で読む文庫」というシリーズでは手に入るみたいです)

何年か前にみちくさ市で角川文庫の『まざあ・ぐうす』を手に入れたました。挿絵はスズキ・コージさん。和田誠さんとはひと味もふた味も違いますが、白秋の濃い~訳にはすごくあっている感じがします。

北原白秋訳はちょっと誤訳があったりして、いまは谷川俊太郎訳(講談社文庫)のほうがメジャーかもしれません。

谷川俊太郎さんは天才詩人であるから、もちろんマザー・グースの翻訳もすばらしいのですが、北原白秋訳とは明らかに違う点がひとつ。

マザー・グースはもともとイギリスの童謡なので、歌うものです。
しかし、谷川訳では歌えません。
全般的に原詩の音よりも意味を尊重して訳している傾向があります。

これに対し、白秋訳は歌えます。もう、この点においては訳した本人も自信満々なのです。

~『まざあ・ぐうす』(角川文庫)はしがきより~
「(略)その羽にかいてある字はイギリスの字ですから、わたしは桃色のお月さまの光でひとつひとつすかしてみて、それを日本のことばになおして、あなたがた、日本のかわいい子供たちにうたってあげるのです。そしてみんなうたえるようにうたいながら書きなおしたのですからみんなうたえます。うたってごらんなさい。ずいぶんおもしろいから。」

白秋訳は、うたいながら訳しただけあって、たしかに「うた」です。これは超訳と呼ぶしかないものです。
最近の翻訳はこういう超訳は敬遠される傾向がありますが、むかしの児童文学翻訳ではわりと普通だったみたいです。(ケストナーの『点子ちゃんとアントン』なんて、主人公の名前が明らかに超訳です。「点子」って日本人かよっ! といまならツッコミたくなりますが、思い返せば子どものころは何の違和感もなく読んでました)

マザー・グースの面白さのひとつに奇天烈なイメージの連鎖があると思いますが、原詩を読むと、そのイメージの連鎖はことばの音によって繋がれていることがわかります。(というか、初めに「音」ありきなのです。その結果、不思議なイメージが次々に現れる、というのが発生順序です。)だから、意味だけをすくいとってしまうと、不思議なイメージは残りますが、そのイメージがどこから呼び出されたものなのかがわからなくなってしまいます。
白秋訳は、ときにびっくりするような意訳がありますが、音の連鎖をなんとか再現しようとした努力のあとは伺えます。
うたとしての「楽しさ」をできる限り残した、と言えるのではないかと思うのです。

今日のまざあ・ぐうす

ふと思うところあり、4年ほど前に挫折したマザー・グースの翻訳に再挑戦。

まめがゆ ほかほか

まめがゆ ほかほか
まめがゆ ひえひえ
おなべのまめがゆ
ここのかめ

ほかほか いいね
ひえひえ いいね
おなべからぱくっ おいしいね
ここのかめ

<原詩>

Pease Porridge Hot

Pease porridge hot,
Pease porridge cold,
Pease porridge in the pot,
Nine days old.

Some like it hot,
Some like it cold,
Some like it in the pot,
Nine days old.

<つづく>

近況報告、のようなもの。

 無職野郎になって約二ヶ月。それはまるで、大洪水の後、なす術もなくぷかぷかと漂う畳の上で心細く救助をまつ暮らしのようでした。いえ、 そんな他力本願なことではいけません。気長に救助を待っていてはこの身が朽ち果てていくだけですから、自らアクションを起こさねば、と救助依頼の手紙をせっせと書いては小瓶につめてそっと流しておりました。

 潮の流れのせいなのか、小瓶の大半は戻ってまいりましたが、運よく浅草や、虎ノ門、新富町あたりの浜へ流れ着いたものもあったようです。
 畳の小舟に腹ばいになり、いざ出陣、と両手で水をちゃぷちゃぷ掻き進めて浅草へ行くと、すでに人の気配はありませんでした。
 虎ノ門では、待ち構えていた船に手を伸ばそうとした途端に突風が吹き、必死に畳の縁を握りしめるうちに見知らぬところへ流されてゆきました。
 たまたま新富町に辿りつくと、謎の饗宴が繰り広げられているところで、船の上からぽってりしたお婆さんが「ちょうど人手が欲しかったのよ」とこちらに手を差しだしました。
 ああ、この船に乗れば漂泊の生活から抜け出せる! 歓喜の嵐が身体を通りぬけました。
 これで温かいご飯がいただけるワ。
 しかし、直感によるものなのか、意志の力によるものなのか、「さあ、さあ」と詰めよるお婆さんの手を、あろうことかわたしは振り払ってしまい、アヒルのようにまた水を掻き掻き逃げてゆきました。

 なぜ逃げてきてしまったんだろう。。。一生後悔するかもしれません。いやあ、この人生がすでに大航海。などとシャレている場合ではありません。
 思い返せば、そもそもこの大洪水を起こしたのは自分自身ではなかったか、という根源的な問いは、あまりにも痛いのでしばし目をつむることにいたします。

 漂泊生活を続けるうちに、小瓶にお手紙を詰めて流しているばかりではラチがあかないワ、という結論に達し、最近コンピューターを駆使した活動に乗り出しました。
 よろしければこちらもどうぞ↓。

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