読むこと、聞くこと。聞くこと、読むこと。
職場でのお話。
一緒に仕事をしている人がヘンテコリンな文書をもってくると、わたしは人間ができてないので、「バッカじゃないの」、とバッサリ切り捨てます。
そして、同じチームの責任者に、「○○さんて、バッカじゃないの」と遠まわしにチクります。責任者の方も、○○さんの文書がヘンテコリンだと思っているようであります。
○○さんの文書がヘンテコリンなのを認めたうえで、しかし、その責任者の方は、「○○さんがどうしてこういう文書を作ったのか、考えてみたんだけどね、、、」と言って、○○さんの立場、視点で、その文書がどのような意図で作られたのかを淡々と分析していかれました。その分析は、とても明晰で、正しかったと思われます。
ただのヘンテコリンな文書だと思っていたものに、突然「意味」が見えました。
そして、わたしはちっとも「読めてなかったなあ」と思って、恥ずかしくなりました。
日常生活の中に文字は溢れかえっているけれど、その文字の洪水は「本」という形なぞとらないものばかりで、しかし、そういうものでも「意味をもった言葉の集まり」であることに変わりはないのです。「本」という形をとらぬものでもきちんと読まねば、とうてい「本」は読めないし、つきあっていくこともできぬのだ、と思いました。
読むということは、相手を理解しようとする、歩み寄りの行為のようです。
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コメント
ゆっきぃさんが「バッカじゃないの」と切り捨てる程のヘンテコリンな文書とは・・・?
気になります。読んでみたいのぅ。
投稿: ☆ | 2008年7月11日 (金) 10時16分
んーとね、、、これはティーのときにでもお話しましょう。期待はずれかもしれませんが・・・。
投稿: ゆきりんご | 2008年7月11日 (金) 18時32分